※このページでは、「奇跡のコース(ACIM)」の
「ワークブック」のレッスンごとの自習のコツを解説しています。
☆「奇跡のコース」自習のための実践的解説
こんにちは!心理カウンセラーで気功療術師で、
「NLAメソッド」のトモヒトです!
今回は、以前にも全体的に解説した、「奇跡のコース(ACIM)」ですが、
このページでは、第2巻の「ワークブック」を中心に実践的に「レッスン」を解説していきたいと思います。
まずは、総合的な解説から、それぞれレッスンごとの解説をしていきます。
もしあなたが、「奇跡のコース」の「ワークブック」を実践し始めたけど、もう一つ意味がわからない、どういう意味があって、どういう効果が期待できるのか?
ということが良くわからない、というのであれば、このページがお役に立てるかもしれません。
「奇跡のコース」のレッスンを、「悟り」や「心理学」の方面からできるだけ分かりやすく解説したいと思います。
まず言えることは、
「今までお疲れさまでした。あなたはきっとすごく頑張って生きてきたと思います。
『奇跡のコース』を学ぶことで、その頑張って生きなければいけなかった思いこみから
開放されるでしょう。」
このページを検索から探した方は、すでに「奇跡のコース」を持っている方が多いと思いますが、
僕も実際そうしましたが、これから「奇跡のコース」を実践してみたい!
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☆「奇跡のコース」ワークブック実践の手引き
ここで書くことについては、↓こちらの記事で詳しく解説したので、
このページでは簡単に書きますが、
この「奇跡のコース(ACIM)」は東洋の「悟り」に共通するものがあり、僕も一時期「悟り」についてかなり学びましたが、
ほとんど矛盾することなく、順番に「悟り」に向かって、あなたの思い込みを解除していく。
という手順書のようなイメージです。
もちろん、この「奇跡のコース」を実践したから必ず「悟りが開ける」というものではないですが、たとえ本当に悟りを開かなくても、
私たちがいま見ている「世界」が実は、本来の世界ではなく、「幻想」とも言えるもので、
それを解除していくことで、「本来の世界」を見ることができるようになる。そのための「意識変容」のためのワークブックと言えると思います。
◎「言葉」を信じないで!
また、この本ではかなり細かく解説してくれていますが、それでも「言葉」は「真実」を表せるものではなくて、一種の「記号」なので、
「本の内容をちゃんと全て理解しよう」としないほうが良いと思います。
リンゴのことを、リンゴを食べたり見たことが無い人に
「木になってて、赤くて丸くて、シャリシャリしてて、甘くて・・・」
といくら説明しても、その味や見た目が完璧に伝わることが無いように、「奇跡」に関しても、言葉で伝えられることには限界があります。
なので、「言葉の意味」とか「文章の意味」などをあまり深く考えるよりも、
サラーっと読んで、そのニュアンスや、あなたの中に浮かぶ「インスピレーション」を大切にした方がいいと思います。
◎リラックスして取り組もう!
そして、なんでもそうですが、「奇跡のコース」を自習する場合も、あまり「よし!やるぞ!!」とりきまないで、
リラックスして、気楽に実践する方が効果的だと思います。
先ほども言ったように、あまり言葉の意味などに引っかからずに、レッスンの言葉を繰り返して、自分の中でその意味を感じ取ってください。
このページで、僕なりの解説も書いていくので、それも参考にしてもらえれば、理解もしやすいかも?
「奇跡のコース」は東洋の「悟りを開く」ことに共通する内容で、私たちの「悟り(本来の生き方)」を邪魔している「信念」を解除していくことで、今までと全く違った視点から世界を見ることができるようになっていきます。それが「奇跡」であり、「ゆるし」「あがない」です。あまり「意味」にとらわれないで、リラックスして、気楽に毎日取り組みましょう!
☆「奇跡のコース(ACIM)」ワークブック概要
「奇跡のコース(ACIM)」の第2巻「ワークブック」は、365個のレッスンがあり、毎日1つのレッスンをすることで、1年間「奇跡」に触れることになっていますが、
大きく分けていくつかのパートに分類できます。
◎レッスン1~60「私たちは幻想を見ている」
ワークブックの「パート1」、レッスン1~60は主に、私たちの見ている「幻想」についてのレッスンになります。
(1~50のレッスンと、51~60は1~50の復習です)
インド哲学や、原始仏教などでも言われている「この世界は幻想である」という言葉。
これは僕の「NLAメソッド」の根本にもなっているんですが、
スピリチュアルや宗教的な「教え」の中だけではなく、心理学や脳科学的にも私たちは「幻想」を見ていると言ってもいいんです。
私たちは普段生活している中で、「現実」を見ていると思いこんでいますが、私たちが「意識(脳)」で認識している「現実」というものは、
「五感」などの感覚で感じた「映像」や「音」だったりの「情報」を、一度集めて自分の内部で「再構築」したものを、「現実」として見ています。
同時に、私たちは個人個人「趣味趣向」などが違ったり、持っている「信念」が違ったりして、常にその「情報」に「判断」を加えて、世界を見ています。
例えば、2人でテレビを見ていても、「面白い」「面白くない」というようなそれぞれの価値観によって、
「面白い番組を見た充実した時間」という現実、「面白くない番組を見た無駄な時間」という現実、
人によって、同じ状況が起こっても「違う現実」として記憶されます。
もう一つ例えると、
恋人と付き合いだしてラブラブの時なら、「すごくきれいな夕日」だったのが、
恋人にフラれて傷心していたら、「悲しげな夕日」に見えたりする。
「夕日」が変化したわけではないのに、自分の気持ちの違いで「違う現実」として認識されます。
◎私たちはたくさんの「信念(思い込み)」を持っている
そして、私たちは生まれてから今までの人生の中で、多くの「信念(思い込み)」を作り上げてきました。
「私はこうあるべき」「あの人はこうあるべき」「世界はこういうものである」・・・
そういう「信念」または「イメージ」というものを持って世界を見るために、
「ありのままの世界」を見ることが出来なくなっています。
(「奇跡のコース」の中では、この「ありのままの現実」のことを「ヴィジョン」と言い表しています)
自分が持っている「信念」と違うことが起こったら、「それは許せない現実」になるし、
自分が持っている「信念」と違うことが起こったら、「これは素晴らしい現実」になります。
しかし、そもそも「起こったこと」自体には何の意味もありません。
そこに勝手に、「信念」で判断し、「価値観」や「正解・不正解」を当てはめて、「問題」を作り出しています。
例えば、あなたが「Aさん」に持っている「イメージ」、「明るくて楽しい人」だとすると、
ある日「Aさん」が誰かの陰口を言っていたら、「今日のAさんは何か違う」と思うかもしれませんが、それはただ単に、「Aさん」の一面だけを見ていて、勝手な「イメージ」を持ち続けているために、
本来は、全て含めて「Aさん」なのに、自分の「イメージ」のそぐわない行動をされると、「幻滅」したり「問題だ」と見てしまったりします。
◎私たちは「自分バージョンの仮想現実」しか見れない
このように、私たちは個人個人の「信念(思い込み)」によって、「ありのままの現実(ヴィジョン)」ではなくて、
常に、「信念」と比較して判断された「歪んだ(編集をされた)映像」を見ている。あなたが持っている「イメージ」を「投影」した「映画」だけを見ている。
「自分バージョンの仮想現実」しか見れいていないということです。
「奇跡のコース」ワークブックの1~60のレッスンはこの、
私たちが今見ている「現実」は常に自分の「信念」による思いこみで作られた「幻想」である
ということを見抜いていくためのレッスンと言えます。
◎「罪悪感」に縛られて生きている
そして、私たちは、「こうあるべきである」という「信念(思い込み)」を握りしめて生きているために、
その通りに生きられない時に、「罪悪感」を感じ始めます。自分を責め始め、そのことによって、他人からも責められているというように感じ始めてしまいます。
自分の内面で、自分で自分を責めることによって、「こんな自分ではだめだ」という「信念」を創り出し、どれを自分の内部の「現実」に投影し始めるために、
「自分を責める他人」創り出してしまいます。
相手がどんな意図で何かの言葉を言おうとも、それを「自分を責めている言葉」に結び付けて解釈し始めます。
そのことでさらに「罪悪感」を募らせて、自分を責めて・・・というループに入ってしまっている人がほとんどです。
自分が創り出した「檻」の中に自分を閉じ込めて、自分を責め続けているという感じです。
そのことを自覚することによって、「檻」から抜け出すのが、この「ワークブック」の目的と言ってもいいでしょう。
レッスン1つ1つについての解説は後ほど。
私たちが普段見ている「現実」は、自分が持っている「信念(思い込み)」によって、勝手な「再編集」をされた仮想現実のようなものであり、古来から「幻想」と言われてきたものである。それを恐れたり、悩んだりせずに、自分が見ている物が「幻想」だと見抜き、本来の「ありのままの現実(ヴィジョン)」を見るための基礎を作りましょう。そして、今目の前にあると思っている「問題」は自分の思い込みが作りだしたものであり、恐れる必要はありません。
◎レッスン1~60個別解説
ここからは、レッスン一つ一つについて、いろいろな方面から解説をしていきたいと思います。
それぞれのレッスンは、すでに「ワークブック」を持って読んでいるという前提で解説していますので、ワークブックに書かれている内容をそのまま転載はしていません。
「ワークブック」のレッスンを読んで、その後に実践の参考にするという形で読んでください。
レッスン1:この部屋の中で私が見ているものには何の意味もありません
レッスン2:私は、この部屋の中で見ているものもすべてに、それらが私に対してもっている意味のすべてを与えています。
レッスン3:私は、この部屋で見ている物を何も理解していません。
レッスン4:これらの思いには何の意味もありません。これらの思いは私がこの部屋で見ているものと同じようなものです
レッスン5:私の動揺は、私が考える理由によるものであることは決してありません。
レッスン6:私が動揺しているのは、そこにない何かを私が見ているからです。
レッスン11:私の意味のない思いは、意味のない世界を私に見せています。
レッスン12:私が動揺しているのは、私が意味のない世界を見ているからです。
レッスン14:「神」は意味のない世界を創造されませんでした。
レッスン18:私は、私の見るという行為の結果を体験することにおいて一人ではありません。
レッスン19:私は、私の思いの結果を体験することにおいて、一人ではありません。
レッスン23:私は攻撃の思いを放棄することによって、私が見ているこの世界から脱出することができます。
レッスン24:私は、私自身にとっての最善の利益を知覚していません
レッスン25:私は、どのようなものであれ、それが何のためにあるのかを知りません
レッスン26:私の攻撃の思いは、私の不死身性を攻撃しています
レッスン28:他の何よりも、私は物事を違った目で見ることを望みます
レッスン30:『神』は私のマインドの中におられるがゆえに、私が見るすべてのものの中におられます
レッスン34:私はこれを見る代わりに安らぎを見ることができます。
レッスン35:私のマインドは、『神のマインド』の一部です。私はとても神聖です。
レッスン36:私の神聖性は私が見るもののすべてを包み込みます。
レッスン41:『神』は私がどこに行っても一緒に行ってくださいます。
レッスン42:「神」は私の強さです。ヴィジョンは「神」の贈り物です。
レッスン43:「神」が私の源です。私は「神」から離れては見ることはできません
レッスン45:『神』は『マインド』であり、その『マインド』で私は考えます。
レッスン46:『神』は『愛』であり、その『愛』の中で私はゆるします。
☆レッスン61~90「私は神の一部であり、愛である」
レッスン1~60で、私たちの今見ている「現実」は「幻想」であり、自分の「信念(思い込み)」によってつくられていると言ってもいい、ということが分かりました。
次に、レッスン61~90では、「私自身が神の一部であり、愛である」ということを学びます。
◎神は実在するのか!?
「神」というと、なかなか日本人には、「バチを当てる」厳しい神のようなイメージや、この「奇跡のコース」が、「キリストの声」らしい、ということからイエス・キリストのような人間の形をした存在・・・というようなイメージだったり、
無宗教の人からすると(僕もですが)、「(宗教的な)神なんて実在するの?」と疑いの心も浮かびそうですが・・・
「神」と表現されていますが、言い換えるなら、
「この世界を作り出した、大きなエネルギー」と言ってもいいと思います。
これだけ科学が発達しても、人類は細胞の一つも1から作り出すことはできません。
もともとこの世界に存在している物を利用するしかできません。
この広大な地球や、宇宙が生み出された不思議。誰がこんなすごい世界を生み出したのか?と考えると、
それを起こした「エネルギー」とか「意志」みたいなものが存在するとしか言えません。
それが「神」と呼ばれるものだと思います。
そして、その「エネルギー」は地球や生物とともに、私たち人類も創りだしました。
◎私たちにも奇跡は起こせる
そして、そんな「奇跡」としか言えないような、宇宙や地球を創りだせる「エネルギー」が、
私たち人類を創りだしたということは、私たちにも同じような機能が備わっている、その「エネルギー」の意志が宿っているはずなんです。
そして、その「パワー」を使うことができるはずなんですが、
さきほどの「レッスン1~60」でも解説したように、私たちは生まれてから今までの人生の中で、環境などから作り上げられた「信念(思い込み)」のせいで、
非常に「限定された世界」しか見ることが出来なくなっています。
「レッスン1~60」でその「幻想」を解除する基礎を作りました。
「レッスン61~90」では、少しずつ自分が握りしめている「信念」を解除し「ゆるす」ことで、安らぎとともに、もっと自由に生きることができる、ということを学んでいきます。
◎「ゆるし」とは?
この「レッスン61~90」では頻繁に「ゆるし」という言葉が出てきます。
これは、もちろんただ単に、今まで怒りを感じていた相手に対しての「ゆるし」も含みますが、
どちらかと言うと、
今まで私たちは自分が育った環境などによって作り上げられてきた「信念」の沿った生き方をしてきました。
しかし、この「奇跡のコース」を手に取ったあなたはきっと、今の生き方がしんどくて、疲れているんじゃないでしょうか?
その今まで握りしめてきた「信念」を手放していくことによって、あなた自身をゆるして、もっと楽に生きていけることを知る。
もちろん、それに伴って、他の人たちも許していけると思います。
「信念」によって、「こう生きなければいけない」と自分を戒めて、頑張って生きてきたあなた自身を、「もうそんなに頑張らなくていいよ」と「ゆるし」てあげる。
そうすれば、今まで「私はこんなに辛抱して頑張ってるんだから、みんなもそうあるべき!」と思って、気楽そうに生きている人を見ると、「許せない」「どうせそのうち痛い目をみる」
と言うように責めていたのが、自分を許せるようになっていくと、
「自分はこうあるべき」が無くなっていくので、他人にも「こうあるべき」と思わなくなっていきます。
そうやって、自分自身を許すことで、世界を許すことができていきます。
◎自分を許すことで、「神の子」になれる
自分を許すことができると、
今までは「こんな私にはまだまだ・・・」という感じで、本当は表現したかった自分を隠して、見ないようにしてきましたが、
「自分も、みんなももっと自由に『自分を生きていい』」
と感じられるようになり、もっと自分を表現し、あなたが自分を表現することで、周りのみんなにも「光」を与えることができる。
みんなにも「わたしもあんなふうに生きていいんだ」という「救い」を与えることができる。
スポーツ選手でも、アーティストでもそうですよね?
その人が自分の好きな事、得意な事を追及していただけのことが、いつの間にか「人に希望を与える」ことになっていきます。
これらのレッスンが「これをしたいけど、ちゃんと生きないといけないし・・・」と押し込めていた「アイデア」を開放するきっかけになるかもしれません。
◎あなたの「不満」が「不足」を生み出す
そして、これは先ほど「私たちは自分バージョンの現実」を見ているということに関係しますが、
特に「レッスン70台」あたりで「不満」という言葉が出てきますが、
私たちの意識の構造上、あなたが「不満」を感じ始めると、それに伴って「不足している現実」を見ることになります。
「このテーブルには帽子は置いていない」と思いこんでいると、いくら探しても帽子が見つからずに、あきらめてテーブルの前に座ったら、目の前に帽子があった。何回も見たはずなのに・・・
という感じで、私たちは「こうであるはず」「こうではないはず」と思いこむと、本当のことが見えなくなってしまいます。
そのように、「不満」を感じ始めると、どんどん「満たされない現実」しか見れないようになっていきます。
目の前でどんな「問題」「事件」が起こっているように見えても、それは「次の場面」のために必要な「前フリ」だったりします。
漫才でも、「前フリ」の部分で、いきなりツッコまないですよね?w
その「前フリ」の部分で、「不満」を感じ続けてしまうと、そのあとの「笑いが起こる」大オチを見逃すことになってしまいます。
目の前の現実がどんなふうに見えていても、「これは今後のために必ず必要な場面だ」ととらえていくことで、その後の「笑い」を迎えることができるでしょう。
◎「現実」も許してあげよう
そして、今目の前に見えている「現実」も受け入れて、許してあげましょう。
私たちはどうしても、目の前の現実が自分の理想通りのものではないと、
「こんなのは違う」「これではだめだ」「こんなはずじゃなかった」・・・
と今目の前の現実を否定して、受け入れようとしません。
さらに、「この現実では不足だ」と不満を感じ始めて、それを埋めようと行動を始めます。
しかし、先ほども解説したように、「不満」を抱いて「不足」を感じて(信じて)いると、そのような「現実」しか見れなくなっていきます。
今目の前の現実は、今あなたが持っている「信念」通りの現実が実現したものです。それを否定せずに、
「これもこの映画には必要なシーンだった」と受け入れてあげて、「不満」や「不足」に意識をフォーカスするのではなくて、
今この瞬間から、満たされた現実を生きるという気持ちに切り替えてください。
今目の前に「存在する」と思っている「現実」は、「今終わったもの」です。
その終わったことにいつまでも注目しないで、今この瞬間から「満ち足りた」気持ちでいきていきましょう。
今までは自分自身の「信念」によって、自分を縛り付けて「こうでなければならない」という考えの下、自分を苦しめ、さらに自分が苦しんでいるために、他人も許すことができずに生きてきたが、まずは自分が「見当違いの思い込み」によって自分を苦しめてきたことに気づき、「ゆるす」ことで、他人や世界を許せて、「不満」を抱かなくなることで、「ありのままの世界」を見られるようになっていく。
◎奇跡のコース「ワークブック」レッスン61~90個別解説
またここから、レッスン61~90までの各レッスンの解説をしていきます。
この項目では、特にあなたという存在が何者なのか?どのような役割なのかということを思い出していくことになります。
あなたに求められているのは、努力ではありません。この世界を見守る「思い」を変えるということです。
それぞれのレッスンは、すでに「ワークブック」を持って読んでいるという前提で解説していますので、ワークブックに書かれている内容をそのまま転載はしていません。
「ワークブック」のレッスンを読んで、その後に実践の参考にするという形で読んでください。
レッスン63:この世界の光は、私のゆるしを通して、すべてのマインドに安らぎをもたらします。
レッスン65:「私の唯一の機能は『神』が私に与えてくださった機能です。」
レッスン69:私の不満は私の中にあるこの世界の光を隠してしまいます。
レッスン72:不満を抱くことは、救いのための『神』の計画に対する攻撃です。
レッスン74:『神の意志』以外にはいかなる意志も存在しません。
レッスン76:私は『神』の法則以外のいかなる法則のもとにありません。
レッスン79:問題が解決できるように、私に問題を認識させてください。
レッスン80:私の問題は解決されていることを私に認識させてください
☆レッスン91~120「自分自身の統合」
さて、これまでの「レッスン1~60」で私たちは「幻想」を見ていることを学び、
「レッスン61~90」で私たちは自分が握りしめている不要な「信念」によって縛り付けられて苦しんで生きている、ということを学びました。
そして、「レッスン91~120」ですが、ここでは、
私たちは、自分が思いこんでいるような存在ではなく、弱くバラバラになった「自分」を統合していく
ということを学びます。
◎私たちはバラバラ?
私たちは、純真無垢な赤ちゃんの頃から、徐々に学校や社会の中で生きていく中で
「社会用の自分」を作りだしていきます。
家で一人でいるときとは違った、「友人用の自分」「学校用の自分」「会社用の自分」・・・という風に色々な「私」を作り上げてきます。
その中で、本当は心の奥では、「楽に幸せに生きる」ことを望んでいるはずだし、表面上も「幸せになりたい」と願っているはずなのに、
「会社用の自分」が、「しっかり頑張って結果を出さないと幸せになれないぞ!」と自分をしかりつけて、結果を出そうと頑張りつづけたり、
「友人用の自分」が、「いつでも友人のことを考えて世話をしておかないと、孤独になるぞ!」と自分を戒めて、本当は望んでいなくても、人付き合いをしたり・・・
本当は、「ゆったりと生活したい」というのが望みのはずなのに、本来の自分ではない「社会用の自分」に合わせてしまって、本来の自分の望みを聞いてあげない・・・
このように私たちは、無意識のうちに自分を「ねばならない」というような、決まり事の中で、生きてしまっているために、純粋に自分の幸せが見えなくなってしまっています。
◎私は弱い?
そして、また私たちは、自分をいつの間にか「世界の被害者」のように思ってしまって、
「社会が良くないから、私は幸せになれない」「友人関係が良くないから私は楽しくない」
「両親があんなんだから、私は成功できない」・・・
と言うように、いつの間にか自分自身を「周りに影響されてダメになる」弱い自分であると、思いこんでしまっています。
しかし、私たちの本質は周りの何にも影響されずに、「神の子」として自分で現実を創造していける存在です。
それをすっかり忘れてしまって、「恐れ」に脅かされて、自分を「許さず」に、
「この世界に私は本当に必要だろうか?」とまで思ってしまっていたりします。
◎あなたは、絶対必要な存在です。
あなたはまだ、「自分の価値」というものがどんなものか分からなくなってしまっているかもしれませんが、
人間はどんな人でも、自分一人で存在できるものではありません。
例えば、世界的な「スター」と言われるような存在でも、その人のことを好きで「ファン」になってくれる人が居なければ、「スター」にはなれません。
その人の仕事、例えば映画なんかでも、撮影スタッフが居て、映画に投資する人が居て、見に来てくれる観客が居ないと、「映画」としては成立しません。
本来、その映画において、「この人がすごいからできた」ということは無いんです。
主演男優が一人で演じていても、成立しません。撮影する人見る人が居ないと、存在しないも同じなんです。
主演男優と観客の間に価値の違いはないんです。
ところが、多くの人は、その「スター」を見て、「私なんて足元にも及ばない」とか思ってしまっています。
違うんです。あなたがいなければ、世界は成立しないんです。
必要だから、何かの役割を持っているから、この世界に生まれて、存在しています。
極端な話、たとえ「悪」であっても、「ヒーロー」が生まれるためには、「悪」が必要です。
どこにも「悪」が居ないのに、「私は悪を滅ぼすヒーローだ」!と街で騒いでいたら、病院に運ばれますよねw
だからあなたは、あなたという役割において、「主演男優・女優」なんです。
◎あなたは「神」の意志
そして、映画で「主演」も居れば、「ヒロイン」も居て、「悪役」も居て、「エキストラ」も居て・・・
あなたにも場面場面で、「主演」にもなれば、他人からすれば「ヒロイン」にもなって、時には「悪役」になるかもしれない。
そうやって、必要不可欠な役割を演じてくれるから、この世界という「ドラマ」が生まれます。
だから、あなたが「やってみたい」「人生の中でこれには挑戦してみたい」というのは、そのまま「神の意志」です。
この世界の根底に流れる「エネルギー」があなたに、行動を起こさせています。
それを信じて、「あなたらしい」ことをやってもいいんです。
◎直感を信じてください。
そして、「本来のあなた」の演技プランは、「直観」や「インスピレーション」として湧き上がっているはずなんですが、
あなたのマインドは「思考」の相手をするのに忙しくて、その「声」を聴くことが出来なかったり、
その「声」が聞こえても、それを頭で考えて、「そんなこと僕にはできない」「それをやっても何の意味が?」という感じで、無視してしまっています。
しかし、先ほどから解説しているように、そうやって「考える」思考自体が、あなた自身の間違った自分の「イメージ」から生まれている物なので、それを信じる必要がどこにあるでしょうか?
また、間違ったイメージで世界を見ている「思考」に、その「直観」が「正しい」とか「間違っている」という判断ができるでしょうか?
これからは、出来るだけ「直観」を信じて、出来るだけすぐに行動に移すようにしていきましょう。
私たちは、自分のことをいくつもの「社会用の自分」に分裂させたり、「世界の被害者」になってしまっていて、「私は弱い」「私には価値が無い」と思いこんでしまっています。しかし、「スター」も「庶民」もお互いが存在しないと成立しません。勝手な「イメージ」で自分を見るのではなくて、自分は「神」の一部である」という基本に立ち戻って、「直観」や「インスピレーション」を重視して、「考えず」に行動していきましょう!
◎奇跡のコース「ワークブック」レッスン91~120個別解説
ここからは「奇跡のコース-ワークブック」のレッスン91~120の個別解説をしていきます。
このレッスン91~120では、特に自分自身が「弱く小さな私」ではなくて、もっと大きな、「神」と一体の存在であり、
あなたが今自分のことをどのように感じたり、思っているとしても、片時も「神」と離れたことはなく、完全に強く、安心で、安らいでいる・・・
ということに気づいていきます。
「分離」を統合していくプロセスです。
それぞれのレッスンは、すでに「ワークブック」を持って読んでいるという前提で解説していますので、ワークブックに書かれている内容をそのまま転載はしていません。
「ワークブック」のレッスンを読んで、その後に実践の参考にするという形で読んでください。
レッスン92:奇跡は光の中で見えます。そして、光と強さは一つです。
レッスン95:私は一つの『自己』であり、私の『創造主』と一体です。
レッスン98:私は『神』の救いの計画における私の役割を受け容れます。
レッスン100:私の役割は『神』の救いの計画にとって不可欠です。
レッスン102:私は、私の幸せを願う『神の意志』を共有しています。
レッスン103:『神』は『愛』であるために、幸せでもあります。
レッスン107:真実は私のマインドの中にある過ちのすべてを修正します。
レッスン108:与えることと受け取ることは真実においては一つです。
☆レッスン121~150「見ている物はすべて『幻想』です」
レッスン121~150ではさらに、私たちが今「現実」と思ってみているのは、自分が握りしめている「信念」によって、ゆがんだ「幻想」であるということを強調しています。
◎「罪悪感」から自分を許す。
私たちを最も縛り付けて、苦しめているのは「罪悪感」です。
生まれてから今まで生きてきた中で、多くの「こう生きなければ」「こうするべき」というような、思い込みの「ルール」の中で、
それをちゃんと守れない自分、そのルールを守ろうとして疲れてしまっている自分、社会の基準から認められていないと感じている自分などを、許すことができずに、
「こんな自分ではだめだ」「こんな生き方じゃ幸せになれない」と自分を責め続けて、罪悪感を感じ続けてきました。
休みの日なんかに、何もせずにボーっとしているとき、どこかで「こんなに何もしなくて大丈夫か?」「これは時間の無駄なんじゃないか?」と落ち着かないような気分を感じているなら、きっと常に罪悪感を持っていることでしょう。
本当はこの世界は、なんの「責任」も「義務」もなく、あなたには「命」というエネルギーを与えられて、安らいで生きられるようになっているのに、
「こうあるべき」という間違った「信念」の為に、苦しんで生きているんです。
その「罪悪感」を手放して、自分を許し、「この世界はちゃんと生きなければいけない」という間違った理想から自分を解放してあげましょう。
◎「神」と分離したことはない
そして、「神」と言い表わされているのは「命」と言い替えてもいいと思います。
この宇宙、地球、生物・・・を作り出した「エネルギー」。それと同じものが私たちにも流れているから、私たちは生きています。
目に見えない「命」という、体のどこに入っているかもわからない「エネルギー」が私たちの体を動かしています。
つまり、私たちすべての存在に、「神(エネルギー)」が流れ込んでいるから、みんな生きています。
私たちは、いつも「神(エネルギー)」とともに存在し、見放されたことはなく、「他人」に見える人たちや、生物たちとも、同じ源からくる「エネルギー」でつながっています。
これが「ワンネス」です。すべてはみな、同じ源から生かされています。
◎今目の前のものに何の価値もない
私たちが本来本当に望んでいるものは、「安心」、「満ち足りた気持ち」「豊かさ」・・・という「安らぎ」の気持ちです。
しかし、得体のしれない「死」というものに対する恐怖感、不安感から、常に「死」を避けるために、何かを得ようとします。
大金を手に入れようとしたり、たくさんのものを買い込んだり、(経済的に)良い相手をみつけようとしたり・・・
そして、それらのものがたくさん手に入れば「幸せになれる」と勘違いして、本来の意味を見失って、求め続けています。
しかし、それらは時に思ったように手に入らなかったり、手に入っても失ってしまったり、時間がたって価値がなくなったり・・・
実際はどんなものをたくさん手に入れたとしても、手に入れた瞬間は少しは達成感や満足感を感じることがあっても、本当に永続的に「安らぐ」ということはありません。
そういう意味でも、全てのものに何の価値もありません。
◎その不足は、自分の信念が創り出した
しかも、そもそも「これが足りないから手に入れないと」と思ったものは、自分自身が「不満」「不足」を信じたために、足りなくなりました。
「頑張らないと幸せになれない」と信じているから、頑張らないといけなくなっています。
「常に気にしていないとだめだ」と信じているから、常に問題が起こってきます。
そして、すべてその通りに頑張ってみてもその先に、ほんとの意味での幸せは手に入らないでしょう。
スタートが「不足」から始まっているからです。
「不足」を信じている「信念」を持ったままでは、常に「不足」が生まれてきます。
ずっとサングラスをかけていたら、どんなに美人と結婚しても、大金を手に入れても、電球を世界一明るいものに替えても、いつもどこか暗いと感じるのと同じです。
「不足」という眼鏡をかけたままでは、どんなに頑張っても何かが不足していると感じることになります。
そして、「私は自分を守らなければ」と思うということは、反対に「攻撃」を生み出し、さらに「自分を守らないといけない現実」を生み出します。
◎手放す決断をするのはあなたしかいない
そして、その「サングラス」に気づいて、外せるのはあなたしかいません。
「本当の幸せ」を手に入れたいと思うのであれば、今まで握りしめてきた「信念」を手放すしかありません。
しかし、今まで信じて生きてきたものを手放すのは恐ろしいものです。
だから、その「真実」から目をそらすために、「病気」などの「防御」が生まれてきます。
今まで、必死に頑張って色々を手に入れてきたのに、それでも幸せにはなれない。
でも、そのことを認めて、今までの努力が無駄だった(本当の意味では無駄はない)ということを直視することが辛いために、病気を作り出して、時にはそのまま「死」を選択します。
本当の「癒し」とは、「ありのままの現実」を受け入れて、「真実」を探求することで、起こりはじめます。
「自分は無力である」「私にはそんな力はない」という被害者意識を捨てて、
「そのままの自分」で強く生きていける、ということを認める。自分の責任で生きていくという決断をすることで、本来の生き方をしていく。
そのことによって、「癒し」が起こり、それは自分が見ている「世界」すべてに影響を与えます。
私たちが今まで求めてきた「幸せ」は永続するものではなくて、逆に自分を消耗させてしまうようなものばかり。それらを手放す決意をし、被害者意識や罪悪感をすてて、「自分らしく」生きる決断をすれば、「癒し」は起こり、その影響は世界にも及んでいく。「不足」を信じて生きるのをやめて、「今満ち足りた」自分がどうやって生きていくかを決断しよう。
◎奇跡のコース「ワークブック」レッスン121~150個別解説
ここからは「奇跡のコース-ワークブック」のレッスン121~150の個別解説をしていきます。
それぞれのレッスンは、すでに「ワークブック」を持って読んでいるという前提で解説していますので、ワークブックに書かれている内容をそのまま転載はしていません。
「ワークブック」のレッスンを読んで、その後に実践の参考にするという形で読んでください。
レッスン122:ゆるしは私が望むすべてのものを差し出します。
レッスン123:私は私への『父』の贈り物に対して『父』に感謝します。
レッスン124:私は『神』と一つであることを私に思い出させてください。
レッスン125:今日、私は静けさの中で『神の言葉』を受け取ります。
レッスン126:私が与えるものはすべて私自身に与えられます。
レッスン128:私が見ている世界には、私が望むものは何もありません。
レッスン131:真実に到達しようとする者は誰も失敗することはありません。
レッスン132:私はこの世界についての私の思い込みのすべてからこの世界を開放します。
レッスン133:私は価値のないものを大切にすることはしません。
レッスン134:私にゆるしをありのままに知覚させてください。
レッスン135:もしも私が私自身を防御するならば、私は攻撃されています。
レッスン137:私が癒されるとき、私だけが癒されるのではありません。
レッスン138:『天国』は私が下さなければならない決断です。
レッスン139:私は私自身のために『あがない』を受け容れます。
☆レッスン151~180「私は神と一体です」
今までもそうでしたが、このレッスン151~180では特に、
「私は神と一体であり、奇跡とともにある」ということを強調して学んでいきます。
◎私たちは分離していない
私たちは今まで、
「すべての存在は私と別であり、分離している」という前提の下、
「エゴの計画」によって、「恐れ」や「罪悪感」を払拭するための努力をしてきました。
それは、すでに撮影が終わった「映画」を、映画館で上映中に、スクリーンに手を伸ばして、ストーリーを変えようとするような意味のないものでした。
しかし、私たちは片時も分離しておらず、「神」とともにあると知った今、
私たちは、その「神の声」に従っていれば、最善の結果を手にすることができ、
無防備で居ることで、逆に安心を得られるということを知ります。
◎「エゴの手柄」を手放す
そして、「エゴ」は「個人の体験」を知覚するためのシステムであり、
「私が勝ち取った」「私が生み出した」というように、「個人の栄光」「私の手柄」を手にしようと努力します。
しかし、本来はそれらの体験は「神」によって作り出されたものであり、
私たちは、その壮大な「映画」のキャストとして、一つのストーリーを描いているようなものなのです。
なに一つがかけても、それは成立しないのであり、
「みんなで作り上げる作品」なのであり、「個人の手柄」などは存在しません。
そのことを知った時、私たちは「苦痛・苦悩」から解放されます。
「私が何とかしないと」という終わりのない努力から解放されるのです。
◎あなたは「神」のメッセンジャーです。
そして、あなたはあなた自身が自分に対してどんな価値判断をしていようとも、
みんな等しく「神の代弁者」なのです。
そのために、この肉体を与えられ、この世界を与えられ、この能力を与えられて、生きているという体験をしているのです。
この「一般社会」と言われる中で、「こんなことをしても意味がない」というように無視してしてしまっている、あなたの中の「欲求」「静かな声」に注目してください。
それこそが、あなたがあなたとして、この世界で担うべき役割なのです。
それが一見とんでもないこと、突拍子もないことに思えても、あなただからこそ、あなたができるからこそ、浮かんできたことなのです。
それ以外のこと、あなたの「真我」が許可していないことは、浮かんでこないのです。
そういう意味で、あなたは、みんなはすべて形は違えど、「神のメッセンジャー」なのです。
◎奇跡のコース「ワークブック」レッスン151~180個別解説
ここからは「奇跡のコース-ワークブック」のレッスン151~180の個別解説をしていきます。
それぞれのレッスンは、すでに「ワークブック」を持って読んでいるという前提で解説していますので、ワークブックに書かれている内容をそのまま転載はしていません。
「ワークブック」のレッスンを読んで、その後に実践の参考にするという形で読んでください。
レッスン151:すべてのものは「神を代弁する声」のこだまです。
レッスン155:私は一歩退いて『神』に道案内をしてもらいます。
レッスン156:私は完璧な神聖性の中で『神』と共に歩きます。
レッスン157:『神の存在』の中へと私は今入っていきます。」
レッスン158:今日、私は受け取るように与えることを学びます。
レッスン160:私は家にいます。怖れはここでは見知らぬ存在です。
レッスン161:神聖な『神の子』よ、私にあなたの祝福を与えてください。
レッスン164:今、私たちは、私たちの『源』である『神』と一つです。
レッスン165:私のマインドに『神の思い』を否定させないでください。
レッスン167:一つの生命があり、それを私は『神』と共有します。
レッスン168:『あなた』の恩寵は私に与えられています。私は今、それを私のものであると宣言します。
レッスン169:恩寵によって私は生きます。恩寵によって私は解放されます。