
☆「奇跡のコース」ワークブック レッスン30 解説
「『神』は私のマインドの中におられるがゆえに、私が見るすべてのものの中におられます」
※「ワークブック」の解説も必ず読んでください。
これから「奇跡のコース(ACIM)」を実践してみたい!
と言う方は、↓kindle unlimitedが断然お得です!
たったの月額980円で、かなり面白い本もたくさん読めるので、
僕は毎月1万円以上分の本を980円だけで楽しんでます!
このレッスン30は、レッスン29をさらに深く言及しているものですが、
すべてものの中に、「神」が存在するというのは、私たち自身が「神」が作ったものであり、「神」を通して、すべてを見ているために、当然のことと言えます。
今、あなたが目を開けていれば、わかりますが、目を開けた状態で、
「いま、目の前を見ないでください」と言われても、自分の意志で見ないことはできません。
もちろん、今聞こえている耳も、耳栓などをしない状態で、無音にすることは無理です。
「思考」もそうだと言いましたが、「見る」「聞く」というようなことも、自分の意志で起こしたり、やめたりすることはできません。
つまり、それは「神」「創造主」「原初のエネルギー」が創り出した機能であり、電源、コンセント、バッテリーなどをつながなくても、自動的に機能し続けている、
自分たちの体や、意識の機能にもかかわらず、なぜ見えているのか?聞こえるのか?誰にも解明できないような、「不思議な力」によって起こっています。
「命」や「意識」の場所も特定もできなければ、見ることもできませんが、毎日、眠って食べ物を食べれば、ずっと動く体があるし、「頭の中」には、「モニター」や「スクリーン」などもないのに、思考や映像がうかんだり・・・
それが、「神の業」という以外になんと言い表せるでしょうか?
つまり、私たちは、「自分が起こしている」と思っていることもすべて、「神」を通してしか実現できないと言えます。
「見る」という現象には、すべて「神」がかかわっています。
私たちが存在して、生きているということ自体が、その中に「神」と呼べるような「何か」が内在しているということです。
そうなれば、自動的に、「見ている」私自身が「神の業」であれば、「見る」対象もすべて、「神」が見せている、「神」が創り出した、「神」が内在する存在しかありえない。と言えるでしょう。
そして、私たちが見ているものは、すべて私たちの「思い」が反映されているがゆえに、常に自分の思い通りを体験するのであり、
今までは、その「悪い現実」を拒否して、受け入れず、「変更すべき現実」というとらえ方をしてきましたが、
「すべてに神がおられる」と知れば、その「悪い現実」は自分の「思い」が神を通してうみだされたものであり、「私はそういう思い(信念)を持っているんだ」と気づくためと思えば、そのまま受け入れられるのではないでしょうか?
「『神』は私のマインドの中におられるがゆえに、私が見るすべてのものの中におられます」
「奇跡のコース(ACIM)」ワークブックのレッスン一覧と、総合的な自習用の解説はこちら↓