
☆「奇跡のコース」ワークブック レッスン43 解説 効果
「『神』が私の源です。私は『神』から離れては見ることはできません」
※「ワークブック」の解説も必ず読んでください。
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このレッスン43は、初期段階のレッスンの中でも、解釈が少し難解ともいえる考え方ですが、
今から解説する解釈は、あくまで一つの解釈として読んでください。
そもそも、言葉の意味をあまり重要視して捉えないでください。言葉はあくまで「記号」であり、実物の「雰囲気」を表すことしかできません。
あなたが今回のレッスンを読んで、感じること、湧いてくる直観に従うのが一番でしょう。
私たちはもちろん、人間が創り出したものではなく、「神」が創り出したものであり、その存在自体が科学で説明できるようなものではなく、それ自体が「奇跡」だということは何度も書いてきました。
「意識」自体が、神の作り出したものであり、私たちが意図的に起こすことはできません。「はい、意識を消してください」と言っても無理ですよね?
つまり、私たちが「見る(意識で認識する)」ということは、「神」を離れては、できないものであり、私たちは、生きているという事実だけで、常に「神」とともにあるという証明です。
そして、ここで出てくる「聖霊」とは、「純粋意識」でも「キリスト意識」でも「真我」でもいいですが、
私たちの普段意識できている「顕在意識」とは別の、「ただ観照している意識」のことを言っていると思われます。
「神」はただ純粋なる、「唯一のエネルギー」であり、「自分自身」を体験するためには、自分の分身となる、「神の子」たちが必要でした。
そのためには、それぞれが「私」「個人」だと思い込んだ存在が必要でした。
それが私たちであり、「自我(エゴ)」というシステムです。
「神の子」が、自分を神の子であるとわかっていたら、何も楽しめない。ただの一人芝居になるだけです。
「神の子」が「神の子」であることを忘れるためのシステムが「自我(エゴ)」であり、その「自我(エゴ)」が生み出す「ドラマ・映画」を常に見ているのが、「聖霊」であり、「神の知覚」であると言えます。
「神」は「唯一の純粋なるエネルギー」であるがために、すべて自己完結しており、「知覚」する必要がありません。
そのために、「聖霊(キリスト意識・純粋意識・真我)」を創りだしました。
それが良く理解できなかったとしても、
あなたがいま感じるべきは、「私は常に、『神』に見守られていて、どんな体験も正しく、どんなことでも可能である」ということを、理解することです。
そして、あなたは生きているだけで、奇跡のパワーの証拠である。ということです。
それが理解できれば、「不可能」が無いということも理解できるでしょう。
「『神』が私の源です。私は『神』から離れては見ることはできません」
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