☆「奇跡のコース」ワークブック レッスン6 解説
「私が動揺しているのは、そこにない何かを私が見ているからです。」
※「ワークブック」の解説も必ず読んでください。
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このレッスンは、レッスン5に続く考えですが、
私たちは、今、自分が握りしめている「信念」や「価値観」によって色付けされた世界を見ています。
そして、本当は目の前に無いものも見てしまっています。
いまはこのことを信じられないかもしれませんが、今までのレッスンの解説でも繰り返し書いてきましたが、
私たちは、自分の内部で、「映画」を見るように、「現実」を見ています。
すべて「五感」などの感覚から入ってくる情報を、自分の内部で再構築、編集した「映画」です。
そこには必ず、人それぞれの解釈が反映されます。
有名な実験で、複数の人たちに、すべての感覚を遮断された部屋に入ってもらうと、すべての人が10分前後で「幻覚」や「幻聴」を起こした。というものがあります。
つまり、私たちは外部からの情報が無くても、自分の内部で勝手に「映像」や「音」を作り出します。
そして、その作り出す「映画」は、個人個人の「信念」がもとになって作り出されるために、人それぞれの映画、つまり「自分バージョンの現実」を見ています。
そのために、何かについて「動揺」するような場合も、実際には実在しないものを自分の意識上に創り出している、
もしくは、「こんなことが起こったらどうしよう」「こうなったら嫌だ!」という強い思いがあって、その恐れの思いを繰り返し、自分の中で思い描いていると、
実際には起こっていないのに、「起こっているような気」になってきて、さらに、それを「見ている」ような気になってきて・・・と現実化してしまいます。
まだそんなこと、信じられないと思う方もいるかもしれませんが、
日常でも、友人と歩いていて、
「あ、今○○が横切らなかった?」と聞いても、
「え?見てたけど、そんなの見えなかったけど」
というように、自分だけが何かを見た。という経験がありませんか?
または、さっきまで無いと思っていたものが、ふと目の前にあることに気づくようなこと。
私たちの意識は、「ありのままの真実」を見ているわけではなくて、
「きっとこんな世界だろう」「世界はこうであるはずだ」というぼんやりしたものを見ているにすぎません。
だから、あなたが何かに「動揺」したとしても、それはあなたの思い込みが創り出したものにすぎず、本当は実在しないものかもしれません。
そういう可能性があるということを、頭において、今日の考えを適用してみてください。
「私が動揺しているのは、そこにない何かを私が見ているからです。」
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