「すでに目覚めている」ネイサン・ギル レビュー 非二元 ノンデュアリティ
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※注 僕のブログの本のレビューはすべてそうですが、

直接的に本の内容の要約などではなく、本の内容+考察になっているので、

このレビューに書いていることが、そのまま本の内容通りとは限りません。

☆「すでに目覚めている」ネイサン・ギル レビュー

こんにちは!「人生が根本から変わってしまう『NLAメソッド』」のトモヒトです!

 

さて、今回は、2020~2021の年末年始に結構な数の本を読んだんですが、

その中の一つ「すでに目覚めている ネイサン・ギル」のレビューをしてみたいと思います。

この本はいわゆる「非二元」とか「ノンデュアリティ」、

または「アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)」と呼ばれるようなジャンルであり、

少し大きな括りで言うと、「悟り」系の本とも言えると思います。

 

実際、著者のネイサン・ギルさんは、ずっと「非二元」「覚者」「アドヴァイタ」系の

教師たちの元を訪れて、「真実」を探求しつづけていて、

ある日、「目覚め」の瞬間を迎えます。その時に垣間見た「真実」について、

「対話」の集まりを開き、人々に伝えていきました。

この「すでに目覚めている」という本は、その「対話」の中からピックアップされたものを

翻訳・編集して集めたものになっています。

◎「すでに目覚めている」とは?

さて、この本のタイトルでもある「すでに目覚めている」というのは、

ネイサン・ギルさんの「体験」で理解したことであり、この世界の「真実」でもあることです。

 

私たちは、「私はまだ目覚めていない」「悟りを開くために理解が必要だ」・・・

という風に、「目覚める」ことを目指して、探求をします。

しかし、ネイサン・ギル曰く、「すべての人はすでに『それ』であり、目覚めていないという瞬間は無い」

ということです。

 

つまり、私たちは「思考」や「感情」など、「自分の内部」と感じている部分に

湧き上がってくるものを「私の思考」「私の感情」という風に考えて、

その上で「ストーリー」を作り始めます。

「私がこう考えて、こうやって行動したから、失敗してみじめな思いをした」

という風に。

この本の中で、ネイサン・ギルが言うところの「劇」が展開されていて、

それに没頭してしまう、気をそらされてしまっているために、

 

私たちは、「一度も分離したことが無く、一体であり、その全体がそのように起こっている」

ということを見逃して、「私個人」という「夢」を見てしまっている状態です。

 

つまり、本当はすべてが一体で、その「全体」は常に目覚めているんだけど、

「思考」「感情」などを含めた(現実という名の)「劇」に巻き込まれることによって、

「催眠状態」になってしまっていて、

 

「目覚め」を目指すことも、「この世界の真実」を探求することも必要ないのに、

みんな、「何か」を探して探求を続けている状態だといいます。

 

そして、その「何か」を自我によって探すことが、逆に「催眠」を強化してしまっているとも言います。

 

◎「気づき」と「気づきの対象」

私たちは、「肉体」でも無ければ、肉体の中の「魂」でもなくて、

この「現実世界」という「劇」を観照している「全体(一体性)」であり、

その「全体(気づき)」で起こっていることを「見ている」という感じです。

 

この「肉体」や、「思考」、「感情」、「外の世界」・・・

これらすべてが、「起こっていること(全体が起こしていること?)」であり、

「マーヤー」と言われる、幻想のようなものであり、

「私のもの」は一切なくて、全ては「風景」の一部である。

 

つまり、「肉体」も「思考」も「感情」も、「私の中で感じている」と思っているが、

言うなれば、「私という主体」があるとすれば、すべてが「外側」で起こっているとも言えるし、

「全体(気づき)」からすれば、全て内側で起こっていることを見ているだけとも言える。

(本来、内側・外側というような境界線は存在しない)

 

そして、その「気づき」の「外側」で起こっていることなど存在せず、

ただこの「今気づいているもの」だけがすべてであり、「それ以外の可能性」は存在しない。

だから、ブッダが言ったように、「ああなればよかったのに、こうすればよかったのに」というようなことを思う必要はない。

ただいま、起こっていること(気づいていること)がすべてであり、

それをただ受け入れているのが本来の「私(全体)」である。

 

◎「目覚める」方法はない?

そして、これは多くの「覚者」が共通していっていることで、

「私(自我)」の観点から、「目覚めるためにできること」というのは何もない。

「目覚め」もまた、「起こること」であり、「探究」「修行」「瞑想」などによって、

「達成」されるものでは無い。

 

ただ、「起こる時に起こる」。

 

特に、この著者のネイサン・ギルさんはそのあたりは徹底していて、

とにかく、目覚めるために「私(自我)にできることは何もない」と言います。

ちょうど、その後に読んだ「あなたの世界の終わり」の著者のアジャシャンティさんなんかは

もう少し、目覚めに向かって意識するべきことなども書いていたりしますが、

 

このあたりは、「矛盾」というよりも、阿部敏郎さんなんかがいうように、

伝える相手や、シュチュエーションによって言い方が変わるという感じで、

 

例えば、「悟りを開く」ということが、「自我」で達成するようなことではない。

ということを理解している人が相手であれば、

「(何も期待せず)瞑想をすればいいですよ」「自分の思い込みを外していけばいいですよ」

ということで伝わるが、

 

その理解がない人に、「瞑想をお勧めします」と言うと、

「瞑想をすれば、目覚めることができるんですね!」と「期待」をしてしまって、

「目覚めを求める」という「自我」によってそれを達成しようとし始めるので、

逆に「自我」を強化することにつながってしまう危険性がある。

 

ネイサン・ギルさんの場合は、一切の「希望」のようなもの、

「自我」が拠り所とするような「土台」を崩していくことによって、

「私にできることは何も無い」ということを受け入れて、

その視点から、ただ「起こってくること」を受け入れる。

 

この「今起こっている」ことがすべてであり、まずはそれをすべて受け入れることであり、

それを楽しむために生きているということに気づいていく。

 

その視点から、世界を見れば、「目覚めた」状態でこの世界を見るのと変わらない。

 

◎「悟りを開く」のは劇的な瞬間?

また、「悟り」系の本を読むと、悟りを開いた人がその瞬間に

「限りない愛に包まれて」とか、「世界が消えてしまった」というような体験を書いているので、

 

「ああ、悟りを開くとは、そんな劇的な体験なんだ!」と期待をしてしまう。

それこそが、「期待」「切望」「探究」という「自我」の働きにつながってしまい、

また「自我」を強化してしまう場合がある。

 

「目覚める」時に、そのような劇的な経験をする人もいれば、

徐々に徐々に理解が浸透していって、気付けば目覚めていたという人もいる。

 

「目覚めとはこういう体験である」というイメージを持ってしまうと、

逆に、目覚めていることに気づきにくくなってしまう。

◎「スピリチュアル」によって見逃す?

そして、この本の「対話」の中で、対話の相手がおそらく

何らかの「スピリチュアル」な方法を実践しているような方も居て、

その「スピリチュアル」の絡めた質問なんかも出てきますが、

 

ネイサン・ギルさんはそのあたりもすべて「否定」します。

おそらく、僕もこの本を5~10年前くらいに読んでいたら、

「なんだよ!じゃあ、何の希望もないのかよ!?」と感じて、読むのを止めてしまったかもしれませんが、

それくらい、徹底して「否定」しています。

 

つまり、この今「見えている世界」というのはすべて「劇」のようなものであり、

例えば、「引き寄せの法則」を実践して、何かが引き寄せられたとしても、

それは「ただそう起こった」だけであり、「自分が引き寄せた」わけではない。

これからも、「引き寄せ」続けるかもしれないし、

もう二度と「引き寄せることはできない」かもしれない。

 

また、「ヒーリング」「ヨガ」などによって、「浄化」され、

「目覚め」に近づくというようなことも無い。

そういうことが起こるかもしれないけど、因果関係は一切ないといいます。

 

逆に言うと、そのように「スピリチュアル」を実践して、

何かを「探究」し続けることによって、自我を強化し続けて、

見逃し続けるということも起こるかもしれない。

 

ただ、僕の見解を書いておくと、

だからと言って、「スピリチュアル」とか「ヨガ」とか「気功」とかを「すぐに止めよう」

というわけでもなく、自分にとって楽しくて、効果があるならば続ければいいし、

それらに意味を求めずに、ただ「劇」として「役柄」としてするのは全然いいけど、

 

それを実践し続けたから、何かが達成されるとか、目覚めることができるとか

いうこととは、全然因果関係は無いということ。

 

◎すべては「自動運転」?

さらにこの「すでに目覚めている」の中で、ネイサン・ギルさんは

「思考」も「感情」も「起こっていること」もすべて「自動運転」だといいます。

 

それらが同時に湧き起こってくるから、「こんなことが起きて、私はこう考えて、こう感じている」

と「私の出来事」として同一化してしまいがちですが、

 

それらはすべて、どこかからやってきて、「現象」として起こり、

それを「映画」の様に観ているだけだといいます。

 

「思考」や「感情」に巻き込まれることで、

「目覚め」から意識がそらされてしまい、「催眠状態」になり、

「私が肉体や感情を持ち、この現実世界の中で生きている」

というストーリーと同一化していくということです。

◎「過去」も「未来」も「記憶」もすべて「今起こっている」

そして、この本の中では、

「未来」はもちろん、ただ今思い描いているだけで、存在しないし、

「過去」や「記憶」でさえも、この瞬間「起こっていること」であり、

「本当にあったこと」なんてものはない。

 

「何年前にあんなことがあって・・・」という記憶も、

「今起こっている」ことであり、

誰かと「3年前に一緒に行った、ディズニーランドであんなことが・・・」

ということも、

「私」と「あなた」で3年前にディズニーランドに行った・・・

ということが「いま起こっている」のであり、

 

「あの時、お母さんに言われた言葉がトラウマで、いまも・・・」

ということも、「今この瞬間に起こっている」ことであり、

そんな実在もしなかったことについて、悩む必要もない。

 

つまり、いま「五感」で感じていること、「思考」「感情」「記憶」などすべて

「いま起こってきた」ことであり、

私たちは常に「今にしか存在しない」。

常に、「今この瞬間」に生まれてきているといってもいい。

 

だから、すべてに「繋がり」はなく、「因果関係」もなく

「過去」を悔やむことも、「過去」にしばられることも全く意味がないし、

「未来」のことを心配することも、何の意味もない。

 

☆「すでに目覚めている」感想・考察

さて、ここまでこの「すでに目覚めている ネイサン・ギル」

に書かれている内容と、少し僕の考察を混ぜて書いてきましたが、

 

先ほども書いたように、この本はとにかく徹底的に

「いまここ」以外を「否定」します。

「今ここに『気づいている』ことがすべて」であり、それ以外は存在しない。

 

だから、「もっと良い現実」を求めるよりも、ただ、「いま」を受け容れ続ける。

それしか起こらなかったのだから。

 

いま目の前に現れて、「こうしてみよう」と感じることをただやっていく。

それしかないかなと。

 

多くの人は、「スピリチュアル」や「非二元」などの「手法」に対して、

「それをすれば、もっと良い人生が送れる」「目覚めることができて楽に生きられる」

というようなイメージを持ってしまうので、

 

この「すでに目覚めている」の「訳者あとがき」のところで、

著者の「ネイサン・ギル」が2014年に病気によって、その54年の人生に幕を閉じた

ということを読んで、

 

「なんだよ!?目覚めたのに、50代で病気で死んじゃうのかよ!?」という感じで、

ショックを受けたり、「目覚めた」ということに疑いを持ったりしたようですが、

(アマゾンのなどのレビューを読むと)

 

しかし、歴史上の「覚者」と言われている人を見ても、

「目覚めた」からといって、「楽に生きて、幸せに静かに死ねる」ということではありません。

 

キリストなんて、「覚者」であることで「磔」にされて、拷問されて亡くなりました。

(まあ現代ではそんなことは起きないでしょうけど)

 

多くの「スピリチュアリスト」が宣伝文句とかで、

「もっと良い人生を」「思い通りの人生を」「楽に生きるには」

「思い通りのお金が入ってきて」・・・というように書くので、

 

その「究極」の様に思える「悟りを開く」ことができれば、

「すべての悩みが消えて、思い通りに生きられる」と勘違いしてしまっている場合もあるようです。

 

そもそも「良い人生」って何でしょうか?

「何も問題が起こらない」?「ずっと大金持ち」?「楽に100歳まで生きて眠るように亡くなる」?

 

しかし、この「人生」を「ゲーム」として見てみると、

「ずっと、何もしないでも何の波風も立たない」ゲームなんてやってて楽しいですか?

生まれた時から100年ずっと大金持ちで仕事をする必要もなくて、

ずっと健康で、美男美女に囲まれて・・・

 

たぶん「ずっと大金持ち」でもしばらくしたら飽きるでしょう。

「凄い美人の奥さん」でも、しばらくしたら「口うるさい嫁」になってるかもしれません。

「筋肉質でハンサムな主人」もしばらくしたら、「高圧的なモラハラ夫」になってるかもしれません。

 

さらに「ずっといい状態」なのが「良い人生」とは限りません。

私たちは「不足」「不満」を体験しないと、

本当のその「物」や「出来事」「存在」のありがたさに気づけないのです。

 

だから、「この世界」は必ず「不足」「不満」を生み出すシステムだといってもいいかもしれません。

 

それを「否定」したり、「見ないふり」しても仕方ないのです。

 

肝心なのは、「じゃあ、私はどうしたいか?」ということです。

そして、結果をいちいち気にせずに行動するということです。

 

「ゲーム」をやっているのに、

「いやいや、私はこんなジャンプ台は望んでないよ。よし平坦な道を引き寄せるぞ!」

「おいおい、こいつ銃撃ってきてるじゃん!あ、これは現実じゃないから消せるはず」・・・

 

なんてやってても仕方ないと思いませんか?

とりあえず、飛んでみて、とりあえず撃ち返してみて、ゲームを楽しまないとw

 

もちろん「現実」で銃を撃ってくる奴が居たら、一目散に逃げましょうww

 

「悟りを開く」ということは、「すでに目覚めている」の言葉を借りれば、

「マーヤー(幻想)」の中で、みんなで「劇」をしているということに気づく、

すべてが「全体」から「起こっている」ことだということを体感するということ。

 

だからこそ、「気楽さ」を感じながら、「現実」を生きられるようになる。

「現実」に巻き込まれずに、ただ「劇」として楽しめるようになる。

(「動揺」なども含めて)

自分は「肉体」でも、「思考」でもなく、ただそれを見ている「気づき」。

 

自分で起こしていることは何もなく、ただ「起こっている」

でも、「自分で選んでいる」ような感覚を感じている。

 

なら、「気楽」に生き方を選んで、楽しめる気がしませんか?

 

阿部敏郎さんなんかも提唱されていますが、

「過去のことは、『自分のせいじゃない』と忘れて、

今この瞬間は『自分で選べる(選んでいく)』というスタンスで生きる」

 

ということがベストじゃないかと思います。

 

「どうせすべて決まっていて、『自動運転』なんでしょ?」

と何もしないのはもったいないですよね。

 

この目覚めに関する「自動運転」「全て決まっている」「私にできることは無い」

ということを信じるにしても、信じないにしても自由です。

どちらでも一緒といってもいいかもしれません。

 

信じるならば、「全て自動で起こってくるんだからお任せで」と気楽に生きられるし、

「すべてが起こっているなら、私が大胆に生きたって正解ってことでしょ?」と思い切ったこともできたり。

 

信じないならば、「なんでも自分で選べて、思い通りに生きていける」という姿勢で、

どんどんやりたいことをやっていく。

(「失敗するのが怖いから、止めておく」でも全然いいんです!)

 

結局そうしないと、「いま」は変わっていかないんです。(あなたが変えたければ)

「自動」だろうが、「手動」だろうが、あなたが動かないと「現実」は動いていきません。

(単純に、家でずっと寝て何もしないで、友達が勝手に増えないように。

まあ、もしかしたら以前に撮った写真が友達にネットにアップされて、

「この人タイプかも!」ってファンが増えることが無いとも言い切れませんがww)

もちろん、変えようとしなくてもOKです。「思ったように生きる」です。

 

そして、「動いた」からと言って、それが実現するかどうか、「うまくいく」がどうかはすべて分かりません。

その結果がどんな形になろうと、それが「良かった」にするか、「悪かった」にするかも

その後どう感じるか、その上でどう動くか?ということだけです。

(一見成功したと見えても、それがあなたの人生にとって「うまくいった」かどうかは

後になってみないと分からないし、どう判断するかはすべてあなた次第ともいえます)

 

結局「今どうするか?どうしたいか?」です。

人生はその繰り返しでしょう。

 

そして、きっとたまたま「目覚め」を迎えれば、

もっと気楽に生きられるかもしれないということでしょう。

 

しかも、万が一「死んで」も、以前レビューした

「「喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと」

「喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと」レビュー 解説

 

で書いてあったように、かなり「至福」らしいですw

「肉体に戻ることに何の未練も感じないくらい」らしいので、

「死ぬ」こともそんなに悪いことじゃない気がします。ww

 

「すでに目覚めている」を読んでみたい方はコチラ↓

すでに目覚めている ネイサン・ギル

 

 

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