☆「スピリチュアル」「引き寄せの法則」は実在するのか?嘘?危険?
こんにちは!心理カウンセラーで気功療術師で、
「NLAメソッド」のトモヒトです!
さて、今回は、結構このブログや、アメブロや、メルマガの読者さんなんかの中で、
「結局、スピリチュアルとか引き寄せの法則って実在するんですか?」
というようなご質問を頂くこともあります。
まあ、僕は時々ブログなんかでも書いていますが、特に「引き寄せの法則」については、
「人間の意識の構造上、『引き寄せの法則』的なことは当たり前に起きています。」
「でも、『引き寄せの法則』というよりは、『見えなくなっていたものが見えるようになる』と言った方が良いと思います。」
ということを書いています。
まあ、このあたりのことも含めて、
「『スピリチュアル』とか『引き寄せの法則』は実在するのか?」ということを考察したいと思います。
◎別に「スピリチュアル」「引き寄せ」否定派ではありません!
さて、先ず言っておきたいのは、僕はブログやメルマガなんかで、
「引き寄せの法則の危険性」や「スピリチュアルな言い方になりますが」
という感じで書いているので、読者さんの中には僕のことを「スピリチュアル否定派」だと
思っている方も居るみたいですがw
そんなことは無くて、そういう全ても含めて、この世界、この意識の中では起こりうるけど、
そういう「スピリチュアル」「引き寄せの法則」に傾倒しすぎるというか、頼ってしまうのは危険ですよ。
ということを主張しています。
◎「スピリチュアル」「引き寄せ」が危険な理由
そして、僕が「スピリチュアル」や「引き寄せの法則」に頼りすぎると、危険だと考えている理由ですが、
一言でいうと、「パワーや能力を外部に追い出してしまう」ということです。
これは、前回の↓こちらでも書きましたが、
そもそも私たちは、生まれた瞬間は何の「制限」も無い、「すべてが一つ」であるということを分かっている存在でした。
しかし、成長する過程で、「言語」を覚え、「常識」などが刷り込まれるうちに
「私はこんな存在だ」「この世界はこんなものだ」という「制限」を覚えていきます。
そして、本来は「自然治癒力」や「奇跡」的なパワーというものを使えるはずなのに、
それを、「常識」という思い込みによって、「私には使えない」と思いこんでいくのです。
これも、以前ご紹介した本ですが、↓
この「喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと」という本では、
著者のアニータさんが、実際に全身転移の末期がんで、もう「今夜が峠」と言ところまで行き、臨死体験を経て、「生き返り」、
そこから数日間で、その「レモン大」の大きな複数の腫瘍が完全に消滅したという、現実に起こった話を書いています。
これには、世界中の医者たちが「現代医学では考えられない奇跡だ」と口をそろえるような治癒が起こるのですが、
本来、誰にでもこのような「奇跡」を起こすパワーがあるのです。
しかし、私たちの「意識」は、「私はこうである」と思いこんでいることがそのまま投影されるようになっています。
「スピリチュアル」や「引き寄せの法則」に頼る時の心理としては、
「私自身にはパワーが無いから、不思議な存在や奇跡に頼ろう」ということではないですか?
つまり、何かの「手法」や「思想」に頼ることで、余計に「自分自身にパワーが無い」という思い込みを強化してしまって、
今まで以上に、「私にはパワーが無い」という「現実」ばかりしか見れなくなっていく危険性があるのです。
◎じゃあ、「スピリチュアル」や「引き寄せの法則」はやめるべき?
「スピリチュアル」や「引き寄せの法則」に頼ることで、逆に「自分のパワーを無くしていく」
というのであれば、やはりそれらをやめたほうが良いのか?
ということなんですが、きっと検索などでこの記事にたどり着いたあなたは、
「スピリチュアル」とか「引き寄せの法則」って、本当なの?
とどこか疑っている部分があるから、その答えやヒントを求めてこの記事にたどり着いたんじゃないかと思うんですが、
あなたがもし、その通りにどこかで疑っているなら、そして、「自分に奇跡を起こすパワーがある」と信じられていないなら、
一度、それらの「手法」を手放すべきだと思います。
特に、あなたが、これらの手法などを使う時に、
「私以外のなにか不思議な存在が居て、その存在が願いをかなえてくれる」
というように思っているなら、なおさらです。
そうではなくて、結局は、どんな手法にしろ、「私にはそのパワーがある」
ということを信じるためにやるべきなのです。
アスリートたちが、「私はこれだけ練習してきたから勝てる!」と確信するように、
いつまでも、「自分以外の不思議なパワー」に頼るのではなくて、
「私にはもともと、なんでも可能な奇跡を起こせるパワーがある」ということを思い出すために
自分に「合っている」と感じる手法を取り入れるのが大切なんです。
例えば、「松葉づえ」がそうですが、あれは怪我をした時に、脚が痛くて歩けないから使いますよね?
普段から、「私には歩く力が無いから」ということで、怪我や不具合もないのに使いませんよね?
または、「けがをしないために」と松葉づえで歩いたりしませんよね?
しかし、多くの人を見ていると、「スピリチュアル」や「引き寄せの法則」を、
「元気なのに、松葉づえをついて歩いている」というような使い方をしているのです。
もっと言えば、「私は引き寄せの法則でもっと良い人生を生きるんだ!」というのは、
「私はアスリートになるんだ!」と言いながら、自分の体は鍛えずに、
松葉づえでなんとかしようとしているようなものです。
☆「スピリチュアル」「引き寄せの法則」は実在するの?
さて、ここでもう一度最初に戻って、じゃあ実際「スピリチュアル」や「引き寄せの法則」が
実在するのか?それとも、嘘で何の効果も無いのか?という話ですが、
これは結論から言うと、
「あなたが本当にそれがあると信じるなら、それは在る」ということです。
先ほどから解説してきたように、一言でいうと、
「私たちは、自分が本当に信じたものが、目の前に『現実』として現れる」
という仕組みの中で生きています。
僕の「NLAメソッド」ではこれを、「みんなそれぞれの『自分バージョンの現実』を生きている」
と表現しますが、
人それぞれ、「この世界にはこれが在る」と心底信じていることが、当たり前に「現実」の中に現れてきます。
だから、「霊感が強い」というような人の現実の中には、「幽霊」「お化け」「妖怪」のようなものが現れるし、
「そんなもの存在しない」という人の「現実」にはそういうものは現れません。
(この仕組みを解説すると、長くなりますが、私たちが認識する「今」
というものは、実はすべて、「ちょっと前の記憶」と言えます。
つまり、目の前で何かが起こる、それを見る、それを意識で認識する。
その出来事を解釈するのは、その人の「常識」です。
「このシュチュエーションだったら、こんなものがあったはずだ」
ということを、創り出したとしても本人は気づきません。
空にかかる虹が、「外の世界」に存在するのではなくて、その光を受け取った
私たちの意識の中にしか存在しないのと同じように、
すべての「現実」は私たちのなかで再生されているだけと言えます)
だから、全て「本人が、本当に在ると思えば何でもあるし、無いと思えば無い」ということです。
そのために、どんな「手法」でも、人によって効果があったり無かったりするのです。
◎僕の「スピリチュアル」体験
さて、実際僕はどのように感じている(信じている)かと言うと、
例えば、「人のオーラが見える」とか「霊が見える」というような体験はありません。
しかし、ちょっと「チャネリング」と言われるような体験はずっとしていました。
それらは、全て音楽活動に関連しているのですが、
ギターを弾きながら歌っている時などに、没頭し始めると、部屋の空気感が変わって、
ひんやりしてきて、「何かが来ている」という感覚がある。とか、
歌詞を考えているときに、時々ある「モード」に入る時があって、
その「モード」に入ると、考えるでもなく、言葉がずらずらと出てきて、
それを書き留めるのですが、それは普段の「思考回路」からではなく、
どこか「向こう側」から来る感覚で、不思議な感覚で出てきます。
そして、その時はあまり意味が理解できなくても、何年か後に
その歌詞を読み返してみると、「なるほど!そういうことか!」と
理解できるということが何回もありました。
まあ、その程度です。
◎そもそも「スピリチュアル」って何なのか?
さて、そこでそもそもがこの「スピリチュアル」と呼ばれていることは何なのか?
ということを考察しますが、
多くの著書などで、「チャネリング」によって何かの「宇宙存在」や「根源的な意識」、
または「アカシックレコード」などにつながって、
「この世界の真実を語る」みたいなものがありますが、
あれについても僕は否定もしないし、積極的に肯定もしません。
たとえば、「悟り」系の本などを読んでいると、私たちも含めて「意識」というものが、「すべて一つであり(ワンネス)」、分裂した別のものなど存在しない・・・
という感じで、「悟りを開いた」とされる人が、宇宙存在などにつながっている話を今のところ見たことがありません。
しかし、その「悟り」も、もしかすると「ある意識のモード」の一つに過ぎず、さらに上層には「天使」と呼ばれる存在や、あらゆる惑星に存在する存在が居るかもしれません。
また、そもそも私たちの「意識」というものがどういうもので、どうやって色々を感じたり、頭の中で映像を思い浮かべたりできるかよく分かりません。
そのような「不思議なもの」である以上、その奥底には私たちの計り知れないような存在が居てもおかしくないですし、
そういう「この世界の働き」を「チャネリング」する人が受け取って、それをその人なりに言語化しているので、もしかしたら、「悟り」を開いた人と同じような世界を見ているけど、
その表現方法と言うか、受信側の知識や、表現力が違うので、そのような「世界を見ている」ということかもしれないし、
どちらにしても、「スピリチュアル」にしても「悟り」にしても、それを否定する根拠もなければ、それが実在するとも言いようがないと思います。
ただ、僕が個人的に一言言えるのは、「あっても面白いし、無くても別にいい」という感じですww
結局は「自分が信じるか、信じないか」の世界ですしね。
◎自分自身がそもそも「スピリチュアル」な存在
そして、もっと言ってしまえば、先ほどからも言っているように、
私たちは、当たり前に夜寝て、電源につながなくても、エネルギーを充電して、
目を覚ましたら、目を開ければ、このたんぱく質の塊の眼球から映像が見えて、
当たり前に体が動いて、頭の中で言葉や映像を思い浮かべて、
食べ物を食べたら、何の機械も入っていない体内で、自動的に栄養を抽出して、
100年前後動き続けるんです。
どんな「7不思議」よりも、この「人間・体」という存在自体が、不思議だし、
「スピリチュアル」な存在だと思いませんか?
そんな「奇跡」が当たり前に自分の中で起こっているのに、そんなパワーが当たり前に働いているのに、
「そんな奇跡みたいなスピリチュアル的なことは実在しない!」って言うのもおかしな話な気もします。
☆どのように生きるべきか?
ここまで色々と書いてきましたが、
じゃあ、「結局どうやって生きるべきなの?」ということですが、
例え、「スピリチュアル」や「引き寄せの法則」が実在しようが、実在しまいが、
それぞれ「個人」としての「現実」はその人が信じた通りに展開していきます。
「思った通り」「考えた通り」ではないですよ。「信じた通り」です。
どんな手法を取り入れようと、どんなことを夢見ようと、どんな行動をしようと、
結局はすべて、「自分がどれだけそれを信じるか」にかかっています。
本当に信じていることが、「意識」上に投影されていくのです。
そして、「すべてを信じられている」状態の人はどのような生き方をすると思いますか?
「私の人生には、私に必要な最適なことが起こる」と信じている人は、どのように生きるでしょう?
「スピリチュアル」や「引き寄せの法則」を必死で使おうとするでしょうか?
いま、あなたの目の前に広がっている「現実」は、全てあなたの心の奥底の「信念」通りです。
「私は◎◎を頑張らないといけない」=「それを頑張らないと幸せにはなれない」=「そのままの私ではダメだ」
というように、自分の思い込みで、自分を苦しめている状態です。
それらの思い込みを手放していってください。
もちろん、最初のうちは何かの手法を使って、気楽になれたり、自分を信じられるようになるならそれを積極的に利用してください。
しかし、あくまでもそれは「自分を信じるため」に利用するだけです。
その手法にパワーがあるのではなくて、あなたに元々パワーがあって、それが使えなくなっている。
ということを忘れないでください。
あなたがこれからするべきこと、どのように生きていくか?ということは、
「自分を制限している思い込みを手放して、自分の人生を信頼して生きていく」ということです。
これこそが、「すべてを受け入れて生きていく」ということです。
もしあなたが、効率的に「思い込み」を手放したいなら、↓こちらが助けになると思います。