Netflix「Wild Wild Country」OSHO(バグワン)の真実
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☆Netflix「Wild Wild Country」OSHO(バグワン)の真実

こんにちは!心理カウンセラーで気功療術師で

「NLAメソッド」のトモヒトです!

 

さて今回は、こちらもNetflixでたまたま見かけて、気になっていた

「OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)」についてのドキュメンタリー映画

「Wild Wild Country」を見たので、それについて考察したいと思います。

 

実は僕は、今まで何冊かoshoの本は読んだことがあって、

その内容は理解できるし、面白いと思っていたのですが、

1980年代にこんな「事件」を起こしていたというのは全く知りませんでしたw

個人的には、本の内容にしか興味がなくて、著者のことをあまり調べたりしないので、

oshoの場合も、本の内容からしか、この人物を知りませんでした。

 

 

☆OSHOの本一覧はこちら⇒

 

◎OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)とは?

さて、この「OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)」という人物ですが、

1931年にインドに生まれ、一般的には「神秘思想家・精神指導者」と呼ばれているし、

まあ、この「ラジニーシ・プラーム事件」の頃に知った人からすると、

「SEXカルト教団の教祖」というイメージかもしれないですね。

 

そもそも、21歳の頃に「悟りを開き」、それ以後東洋、西洋などの

哲学、宗教、スピリチュアリティなどを独自の解釈で「講話」を行い、

また、瞑想やセラピーを通して、精神性を高めて、悟りに至る方法を教えたといいます。

 

特に1960年代からは、「ラジニーシムーブメント」と呼ばれる新宗教とも言える活動で、

多くの人から支持され、信者(サニヤシン)を増やしていきました。

 

その教えの根幹部分が、「セックス(性エネルギー)」を高めて、超越し、

そのことから、悟りに至るというようなことなんですが、

確かに、古代からエジプトや中国の気功などでも、「性エネルギー」の解放と利用

ということは、人間として当然のこととして扱われてきましたが、

「フリーセックス」などを大胆に奨励したために、世間からの目は厳しくなるでしょうね。

 

実際に、インドのプネーで行われていた、グループセラピーでも

初日から全員、全裸で集まり、自分自身を開放して獣のように叫んだり、

セックスなども行われ、確かにその様子を撮影した映像を見ると、ちょっと引きますww

 

そのことなどが問題になり、インドで逮捕されそうになったようで、

そこから、「背中の手術」のためと、アメリカ行きのビザを取得して、

アメリカに移り、オレゴン州のワスコ郡アンテロープ町に、新たな「コミューン」を建設。

今回見た「Wild Wild Country」では、主にこのアメリカ、オレゴン州での

コミューンの建設から、OSHOの死没までをドキュメンタリーで描いています。

 

◎「Wild Wild Country」あらすじ

ここで、簡単にNetflixのドキュメンタリー映画「Wild Wild Country」のあらすじを振り返っておきます。

 

インドではすでに「教祖」的な立場になっていた、バグワンですが、

その激しい「グループセラピー」の中で、けが人なども出ていたり、インドのプネーに設立したアーシュラム

のなかで、乗り気ではない人に対して、他の信者からの圧力などもあったようで、

当局から目を付けられ始め、いよいよバグワンが逮捕されるんじゃないかということで、

「新天地」をもとめ始めます。そのためにバグワンに心酔していた女性、

「マ・アナンド・シーラ」に土地を探させます。

 

そして、新しい「理想郷」である「共同体(コミューン)」設立に最適な土地が、

アメリカ・オレゴン州ワスコ郡アンテロープという街に見つかります。

1981年バグワンは一部の信者とともにアメリカにわたります。

ここからが主に、「Wild Wild Country」で描かれていることです。

 

現地の住人たちは、「何か宗教団体がやってくる」ということで、最初は興味本位で

注目していたのですが、徐々に情報が入って、さらにインドのアーシュラムに潜入していた

映画監督が、撮影した「グループセラピー」の映像には、全裸で獣のように叫んだり、

トランス状態になったり、女性を乱暴に扱っているような場面が映っていて、

 

アンテロープ市民にすれば、「セックスカルト」「邪教」が街にやって来た

というイメージになり、一気に反発が広がっていきます。

 

そんな中、「信者(サニヤシン)」たちは、次々に町に入ってきて、

大規模な工事が始まり、「町」を作っていきました。

やがて、何万人規模の住人たちが街に入っていきます。

 

その中では、「フリーセックス」「瞑想」「音楽」「歌」「ダンス」などがどこでも自由に行われ、

みんなが自給自足で生きているために、外に働きに行く必要もない、

「理想の楽園」と言える国「ラジニーシ・プラム(ラジニーシの街)」が誕生しました。

 

しかし、周辺住民は、静かだった街に四六時中、歌やダンスやセックスなどの声が響いて、

夜もおちおち寝ていられないという状態で、しかもいつそんな集団が危ないことをしだすかと

心配する日々で、アンテロープやワスコ郡などの各機関に訴え始めます。

 

後ほどもう少し詳しく書きますが、この時点で「コミューン」側の中心人物は

「マ・アナンド・シーラ」という女性でした。

バグワンはこの「理想郷」の象徴として、実務はすべて、シーラが取り仕切っていました。

 

このシーラがあまりに好戦的で、やり手だったために、

オレゴン州の市民と対立する形になり、

やがて、周辺住民からの銃器での威嚇や、コミューン所有のホテルが爆破されるに至り、

 

コミューンのメンバーたちはシーラを中心に、武装化し、

一部信者は、正式に警察の訓練も受けて、「警察官」となり、

24時間体制で、アンテロープの町を(威嚇するように)パトロールし始めます。

さらに、細菌兵器などの研究も始め、実際にワスコ郡の町では集団食中毒が多発したり、

シーラを擁立して、オレゴン州の議会にも入り込もうとし始めます。

まさに、オレゴン州を「乗っ取ろう」とし始めるのです。

また、コミューンを退去させようとする当局要人の暗殺計画も持ち上がり、

未遂に終わりましたが、暗殺も実行する寸前までいきました。

 

しかし、このあたりから、コミューンは内部から崩壊し始めます。

シーラがオレゴン州の議会に当選するために、大量のホームレスを

コミューン内につれてきたことにより、内部の統制が乱れ始めます。

つぎに、「ハリウッド一団」と呼ばれていた、ハリウッドからやってきた

裕福な一団がバグワンに取り入り始め、バグワン自身もその人たちを優遇するようになり、

自分の近くに置くようになります。

 

その状態を良く思わなかったシーラが、バグワンの部屋を盗聴したり、調べて行くと

「ハリウッド一団」の中に居た医者が、バグワンに「笑気ガス」や「精神安定剤」を

大量に処方していることに気づきました。つまりバグワンは一団によって、

「薬漬け」にされて、言いなりになっているのではないか?という状態に思われました。

 

さらに、盗聴された会話の中で、バグワンが

「尊厳のある死を迎える方法はあるか?」というようなことを言っており、

シーラはバグワンが安楽死をしようとしていることを察知します。

 

シーラはそれが行われる前日に、側近に命じて、その医者を暗殺させようとします。

実際に、注射によって暗殺が行われたのですが、医者は一命をとりとめます。

そのことで、バグワンの安楽死は止められたのですが、

 

「もうバグワンは変わってしまった」と感じたシーラは、側近たち20人ほどを

連れて、ジェット機で、コミューンを離れて行きました。

 

このことを知ったバグワンは、今まではコミューン内でもあまり、

みんなの前に立つことは無かったのですが、

シーラたちが袂を分かったことに怒ったのか、壇上に立ち、

 

「シーラが独断であらゆる犯罪行為を計画し、実行し、金を奪って、国外に逃げた。私は彼女を探す。

警察も差し向ける」と言い始めます。

確かに、バグワンのこの頃の様子、目つきを見ると、「薬漬け」と言われてもうなずける感じです。

 

そして、シーラをつかまえるために、「ラジニーシ・プラム」内に警察やFBIなどを受け入れて、

捜査協力をし始めるのですが、当局側は、シーラたちの罪状ももちろん、

バグワン本人の犯罪の証拠も探し始めます。

 

このことが元となり、シーラたちへの「殺人・殺人未遂・細菌攻撃」などの逮捕状、

バグワンには、信者たちをコミューン内に居させるために、永住権のための偽装結婚などをさせていた

ということで、逮捕しようとします。

 

バグワンたちは、一部の信者とともに、ジェット機で逃亡するのですが、

最終的には逮捕されて、1985年「国外退去」となります。

(同時にシーラたちも逮捕され、のちに服役します)

しかし、彼を受け入れる国がなかなか見つからず、しばらくの間世界の国々を転々とし、

 

1987年、インドに戻り、またプネーのアーシュラムで活動を再開しますが、

これは完全に政府の監視下に置かれることとなります。

1990年1月19日、病気や笑気ガス中毒などにより、死去します。

 

◎個人的なOSHOのイメージ


僕は、はっきり覚えていませんが、何かのスピリチュアル系の本を読んだ時に、

OSHOの本について書かれていて、そこから興味を持って読み始めたのですが、

その内容は、OSHOが「ブッダ」や「老子」「十牛図」などについて

「悟り」の方面からの解釈をした「講和」をまとめたもので、

 

個人的には、かなり「悟り」というものがどういうものか理解したし、

その言葉では捉えにくい感覚を、色々な方面から解説しているため、

興味深く読んでいましたし、また読みたいと思う内容でした。

 

その一方で、彼自身が語るエピソードで、

「大学の教授と言い合った(言い負かした)」とか

「政府は私を理解していない、理解できるはずもない」

というようなことも言っている場面もあって、

 

僕がそれまで持っていた、「悟りを開いた」人のイメージとは

若干違うなという印象でもありました。

(ただそれは、僕が勝手な悟りのイメージを持っていただけで、

それ以降色々な「悟り」についての本を読みましたが、

「悟りを開いて」も、その個人の人間性が一気に変わるような、

聖人君子になるような「変化」ではなくて、

ただ、「この世界の仕組みに気づく」ということであり、

結果的に「無欲」になる場合もあるが、

その「個人」としての性質は続くんだろうな・・・

という感じなので、OSHOの性質はそもそもちょっと「好戦的」

なんでしょうねw)

 

彼が本当に悟りを開いていたかどうか、ということはもちろん分かりませんが、

それをのけても、すごい知識量と、話術であり、

あんな、分厚い本4冊分とかの量の「講話」をずっとできるということ自体でも、

普通の人じゃない、というのは分かるし、

それに魅力を感じる人が多いのも分かりますね。

ただ、何回も言いますが、個人的にあのグループセラピーに参加するかといったら、

ちょっと無理だなあと思いますがw

 

ただ一つ言えることは、とにかく「グループセラピー」やオレゴンでの「コミューン」内

で行われていたことが、「正しい」とか「悪い」とか、そういうことは

分かりませんが、少なくとも、本の内容を読む限り、面白いし、

間違ったことを言っているとは思いません。色々な発見があります。

 

また、今の社会の中では、みんな「理性」で「自分らしさ」を抑圧

している人がほとんどで、そのために本来の「人間性」を出さないまま

死んでいく人も多いような気がするし、

そのために、「私が辛抱してるんだから、みんなも我慢しなさいよ」

という感じの空気もなんだかなあ、と思うので、

 

後ほども書きますが、OSHOの思想ややり方に100%賛成とは言えませんが、

それでも、「自分を自由に表現する」ということの重要性はうなづけます。

 

ただ、この「Wild Wild Country」で描かれている一連の出来事を見ると、

「あれだけ色々なことを分かっているOSHOがなんでこんなやり方をしたのかな?」

という印象でした。

 

本や講話の中では、伝統的宗教のやり方や形態を否定していたりするのに、

こうやって、「集団」を作ってしまったら、どうしても今回のような状態になっていくのは

目に見えている気もするんですが。

 

信者の方が言っていたように、それもこれも、全てひっくるめてバグワンの

「実験(装置・ゲーム)」だというなら、そうなのかもしれませんが。

 

 

 

◎「シーラ」という女性

 

さて、この「Wild Wild Country」でメインキャストと言っても言い役割を果たすのが、

「マ・アーナンド・シーラ」という女性です。↑

 

この女性、インドで17歳の時に家族とともに、osho(バグワン)に会い、

そこから心酔し、インドからアメリカに移る時も、コミューン建設の土地を見つけたり、

各方面の手続きなどをシーラが任されます。

 

また、このドキュメンタリー映画「Wild Wild Country」の中でも、

実際に現在のシーラさんがインタビューに答えています。

まず彼女、「やり手」なのは間違いなく、さらに「強い」ですw

彼女自身も言っていましたが、その「強い」という性質をバグワンに認められて、

それを生かしなさいとも言われていたようで、

 

アンテロープでの「コミューン」に周辺住民からの反対運動が起こっているときも、

周辺の土地や建物などを、どんどんと買っていき、

事実上、「アンテロープを支配」するような形にしていったり、

今度は、ワスコ郡全体を乗っとろうと、周辺の外食店で「サルモネラ菌」をまき散らしたり、

反対派当局の主要人物の暗殺を企てたり・・・

 

さらにマスコミが注目し始めた時には、

彼女が「広告塔」となり、どんどんインタビューや議論に答えて、

時には、「くそったれ」と言ったり、中指を立てたりと、

なかなか、その辺の人間にはできないような強気の態度で反対派をけん制します。

 

シーラさんはその役割を楽しんでやっているようにも見えます。

しかも、もう年齢を重ねた現在のインタビューでも、その時自分がしたことは

一切間違っていない、と思っているような「自信」「誇り」さえ感じさせるような話し方で、

「間違っているのは、世間だ」と言わんばかりの感じでしたねwある意味すごい。

 

この「サルモネラ菌」や「暗殺未遂」の罪で、シーラさんは逮捕されるのですが、

その時に話した人物の印象では、

「人の感情が理解できない人物なのでは?」と感じるような、全く悪びれる様子もなかったようです。

 

もしかすると、「サイコパス」的な、人の気持ちに共感できない部分も

持っているのかもしれませんが、もともと17歳で「バグワン」に心酔して、

ついていったことから、社会的な「規範」みたいなのがあまりないまま、

「自分のすべてを開放する」ということを知ったので、協調性が育たなかったのかもしれませんね。

 

◎どちらが、悪かったのか?

さて、この「シーラ」さんの「暴走」によって、

この「カルト集団」が危険な集団になっていったという見方が

一般的なのかもしれないですが、

僕は非常にフラットな目線で見ていると、

 

確かに、「セックス」を前面に押し出すような宣伝方法だったし、

あの「グループセラピー」の映像を見れば、嫌悪感を感じるのも分かりますし、

さらに、昼夜問わず、叫び声やセックスの声などが静かな町に響くとなれば、

周辺住民の気持ちも痛いほどよくわかりますが、

 

かといって一部の住民が銃を持ちだして、威嚇したり、

コミューンが所有するホテルを爆破したりと、

過剰反応を起こしてしまったというのもあると思います。

 

そりゃ、それだけの威嚇や、攻撃をされたら

こちらも武装しましょうということになっていくと思います。

命が狙われているんですからね。

 

そして、バグワンに心酔している、シーラさんが

「バグワンとコミューンを守らないと!!」と

過激になってしまったという部分もあると思います。

 

例えば、最初から退去を迫るのではなくて、

もうちょっと静かに、「信仰の自由だけど、夜とかに騒ぐのは何とかなりませんか?」

という感じで、話し合いを重ねていれば、お互いにあんなに強硬な手段に出なかったかも?

とも思いますが、そのあたりは細かく描かれていないだけで、

最初は冷静に話し合ったりもあったのかもしれませんが。

 

◎バグワンの罪とは?

さて、ここからは個人的な考察になりますが、

まず、単純に「OSHO、なにがしたかったの?」ということですねw

 

先ほども書いたように、僕は本でしかOSHOを知らなくて、

このような事件を起こしていたとは全くしらなかったので、

あの本などで語っている内容と、人をたくさん集めて、コミューンを

作っていたというのがすごく矛盾する気がして、驚きました。

 

基本的に、どんな素晴らしい「教え」であっても、

たくさんの人が集まり、集団になっていくと、どうしても「集団心理」も生まれるし、

自然と、「教祖に近い」「教祖に目をかけられている」というような

今回の場合、シーラさんのような人が、「上層部」ということになって、

どうしたって「階級」「階層」「身分」のようなことができてしまう。

 

そういう意味でもOSHOは、伝統的な宗教を否定していたと思ったんですが、

自分なら、そうならずに理想郷を作れると思ったのか、

教えを説いているうちに、たくさんの人が集まってきて、ちやほやされるうちに

「教祖」であることが快感になっていったのか・・・?

 

その辺のことは分かりませんが、今までOSHOの本を読んできて、

その内容が素晴らしいと感じていたので、彼自身がこのような結末を

迎えていたということを知って、残念な気持ちになったのは確かです。

 

また、コミューンが出来上がってきて、その運営をシーラさんに一手に任せて、

本人はほとんど表に出ずに、シーラさんが出て行った後になって、

「シーラが全部悪い」的なことをくどくどというのはどうでしょうか?w

 

もちろん、シーラさんが自分の都合のいいように、バグワンの言葉を局解して、

権力をほしいままにしたのかもしれませんが、

やはり、任せっきりにしておいて、後から「あいつが全部やりました。あいつが全部悪い」

というのはさすがに通りませんよ旦那~、という感じですよねw

 

まあ、講話ではあれだけ素晴らしいことを言っていたけど、

色々な方面を批判することも多く、敵も多かった分、

そうやって自分を慕ってくれる人たちに囲まれて、奥に引っ込んで

悠々自適に暮らせるという、「教祖」の立場を楽しんでいたというものあるんでしょうね。

 

◎「悟りを開く」ということ

まあ、この「悟りを開く」ということについては、

僕なりに解説しているので、そちらに詳しく書いていますが、

「悟りを開く」をわかりやすく解説!どうなる?勘違い?修行が必要?

 

今回「Wild Wild Country」のOSHO(バグワン)の行動を見ていると、

一般的な「悟りを開いた」人のイメージからはかけ離れていて、

「欲望だらけじゃん!?」「悟りを開いたなんて嘘だろ!?」と見えるかもしれませんが、

 

別に「悟りを開いた」からと言って、「聖人君子」になるわけではないのです。

簡単に言ってしまうと、「悟りを開く」とは、

「私」というものが、この肉体に限定されるものでは無くて、

「この世界そのもの」、この全体が「私」であるということを体感する、気づく

ということです。

 

最近で言うと、「喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと」

「喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと」レビュー 解説

という本で、書かれている「臨死体験」の表現が非常に分かりやすいんですが、

 

この肉体も含めて、この世界すべてが「私」であり、

すべてが一つであるということを、リアルに体感する、

その全体の「私」という意識が、世界を映し出している・・・

というような感じでしょうか。

 

それを知れば、「この世界は私の内面が映し出されているものなんだ」と

気づくので、何かを強く求める必要が無くなるというか、

強く求めることによって、「私にはそれが足りない!」という意識になり、

逆に「足りない現実」を生み出すことに気づくのです。

 

その結果、「欲」を強く持つことが無くなるので、「禁欲的」に見えるだけです。

 

別に「悟りを開いた」=「欲望が無くなる」「すべてを許せる」「怒らない」・・・

ということではないのです。

 

この世界の仕組みに気づくから、気楽に生きられるようになるけど、

その「個人の性質」が消えるわけではないのです。

 

逆に言えば、そうやってこの世界の仕組みを知ることで、

この世界で自分が本当にしたいことが見えてきたりもするのです。

 

何のために、その「全体」で「至福」である状態から、

わざわざ制限のある、肉体を体験しに来たのか?

 

今までは、「世界」というものが元々存在し、その中に自分が生まれ落ちた

と思っていたので、自分を「世界」に合わせようと生きてきたけど、

それが逆だと知ったことで、自由に生きようと思い始めます。

 

そのことによって、「聖人」のように生きることこそ自分のやりたいことだ!

と感じる人もいれば、もっと自由にセックスをしたい!と思ったり、

ビジネスで大成功して、貢献したい!と思う人もいるかもしれません。

 

言い方を変えれば、「悟りを開く」=「自分の宿命に目覚める」と言ってもいいかもしれません。

 

つまり、OSHO(バグワン)の役割は、ああやって「教祖」となって、

大きなムーブメントを創り出し、人間性や生きること、自由の意味、

集団での受容と、危険性・・・ということを世界に投げかけることだったのかもしれません。

 

そういう意味では、やはりすべてはOSHOによる、「実験・ゲーム」だったのかもしれません。

 

コミューンのメンバーには多く、

「あんなに自分の人間性を認められた体験は初めてだ」

「自分が本当に受け入れられたと感じたのはあの場所だけだ」という人もいるくらいで、

そういう意味では、成功だったのかもしれません。

 

もちろん、それに伴う犯罪行為を擁護するつもりも、仕方ないよねとも思いませんが。

 

◎セックスによる「悟り」

さて、ここも世間的にはこの時点で「アウトでしょ」

となるかもしれませんが、OSHO(バグワン)が掲げた

「セックス(性エネルギー)による進化」的なことですが、

 

まあ、あれだけ前面に出しちゃうと「セックスカルト」と言われても仕方ないし、

「邪教」「サタン崇拝」などのイメージを重ねられるのも仕方ないと思いますが。

 

別にOSHO(バグワン)を擁護するわけでもなく、

僕がずっと実践している、気功でも、

仙人を目指す「仙道」でも、エジプトの言い伝えなんかでも、インドのヨガでも

「セックス」ということは外せないものであり、やはり人間が生まれてくる

根源の部分なので、重要なことなのは確かです。

 

それなのに、あまりにも現代社会では、

「人前で話してはいけない、隠さなければいけない」というのが強すぎるとも感じます。

 

誰でもするし、必要なことだし、新たな命が生まれる神聖な

ものなはずなのにそれを抑圧するのは確かに変ですよね。

抑圧することによって、逆に押さえつけられたエネルギーが暴走したりして、

性犯罪なども起こってくると思います。

 

だからと言って、僕も個人的に「フリーセックスにしようぜ!」とは思いませんがw

 

それでも、気功なんかでも結構分厚い本、1冊丸々、

セックスによる、気の交換、上昇、錬成・・・が書かれていたりして、

やはり、1人ではなかなかできない領域の、エネルギーの上昇が可能なのも確かです。

 

そして、セックスで行為に没頭している瞬間や、「イク」瞬間は

「思考」を通さず、感覚に没頭できる状態で、「悟り」の状態と言ってもいいので、

うまく使えば、セックスで「悟りを開く」ということもできるかもしれません。

 

きっとOSHOはそういうことを目指したんじゃないかと

思うんですが、実情はセックス目的でやってくる人も多かったり

性病が蔓延したとも記録されているので、

あらゆる相手と好きにセックス・・・というのだけではなかなか

それに到達するのは難しい気もしますね。

世間も受け入れないでしょうし。

 

☆「Wild Wild Country」OSHO(バグワン)の真実 まとめ

さて、なんかこのドキュメンタリーを見て、

色々な気持ちを感じたし、なんか書きたいことが色々ありすぎて、

ぜんぜんまとまりのない記事になってしまいましたが、

 

なんとなく言いたいことが伝わったでしょうかね?

 

僕が高校生の時に、日本でも「オウム真理教」の事件があって、

ちょうど彼女とお泊りして、帰りに大阪の地下鉄の駅に降りたら、

東京の地下鉄で「毒物(サリン)が撒かれた」というような

記事が張り紙してあって、その後の連日の報道などで衝撃を受けましたが、

 

そのオウム真理教がモデルにしたのが、このバグワンによる、「ラジニーシ・プラム」

だったんだろうなと、初めて知りました。

 

まあ確かに、表面だけ見たら、あんなたくさんの人が集まって、

フリーセックスだったら、やってみたいという人も出てくるでしょうねww

 

このドキュメンタリーをみて、やはり人は悟りを開こうが、

悟りを開くまいが、自分のやりたいことをやって、その結果を受け止めていく

ということしかできないし、目の前に起こってくることこそが真実なんだなと感じました。

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