旦那さんが愛してくれない?を解決します。起こってくる問題は結局は全部自分のせい。
☆NLAメソッドとは?



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☆起こってくる問題は結局全部自分のせい

さて、今回は、起こってくる問題は結局全部自分のせい

ということについて書いてみたいと思います。

 

僕もこんな風にブログを書いてきたり、人の相談を受けたり、

夫婦で話したりしていると、

「悩み」「問題」というものを細かく見ていくと、

実はそのことを「問題である」と思っているのは、本人の問題で、

 

よく考えて掘り下げていくと実際はそんなに問題じゃない

という場合が結構あります・・・というか、全部そうだと言っても

良いと思います。

 

まあただ、そうだからと言って、その瞬間に「はい!問題解決!」

と思えるかどうかはそれぞれの状況によるし、

気持ちの持ち方によるので、なかなかそれを問題じゃないと

思えないという場合もありますが、

 

例えば、夫婦間の問題を例に挙げてみると、

僕も結構夫婦の問題を話に聞いたり、相談されたりしましたが、

ほとんどの場合は、

どちらか、もしくは両方が「自分の方が正しい」という価値観で

相手を見ているがために、

 

「夫が話を聞いてくれない」「旦那がどうしようもない」

「奥さんが理解してくれない」「嫁が口うるさい」

などなど、お互いに、相手が「理解が無い」という目で見ている

ということが本当に多いです。

 

そして、ずっとその価値観で相手を見続けるために、その後の

行動がすべて、自分の思いに沿わない行動という風に見えてしまって、

もうあきらめている。

 

ところが、これって本当に相手の問題ですか?

ということがほとんどです。

 

そして、この中には3つの大きな食い違いが起こっていると思います。

 

話を聞いてみると、例えば、

「旦那が服を脱ぎ散らかす」とか「子供の前で平気でおならをする」

とか、

もう少し深刻な話でも、「夫が話を聞いてくれない」

「奥さんが自分の価値観を理解してくれない」

 

という感じですが、

 

旦那さんが服を脱ぎ散らかすのがそんなに問題でしょうか?

 

◎まず一つ目の「食い違い」として、

こういうはなしをもっと掘り下げていくと、

奥さんの実家では、家族がみんな服を脱いだらきっちりと、

洗濯かごに入れていた、ということで、そのことが許せなかったり

するようですが、

 

旦那さんの家では、それをすぐにお母さんが片づけていた。

旦那さんのお母さんはそれが当たり前だったし苦ではなかった。

 

そういう、やはり別々の家族で育ったわけですから、根本的な

価値観が違う場合が多いです。

だから、別に脱ぎ散らかすのも、それが当たり前だったわけで、

悪気があってやっているわけではないんです。

 

旦那さんはそれが当たり前だったので、脱いですぐに片づけるという

常識が無いだけなんです。

 

だから、そこで勝手に「この人なんてだらしないの!」と思ったりすると、

そこからそういう目で見るために、全ての行動において、だらしなく見えるし、

自分に苦労をさせているという気分になってしまいます。

 

ですので、まずは初めに「あれ?なんで服を脱ぎっぱなしなの?」

と思った時点で、怒ったりせずに普通の調子で

「脱いだ服を洗濯かごに入れてくれると、洗濯の時にすごく助かるんだけど」

 

と言うように言えば、きっと相手も気を付けてくれると思います。

 

そして2つめの「食い違い」として、

先ほどもちらっと書きましたが、

多くの場合、その相手の行動に最初から悪意があるわけではない

ということです。

 

最初から別にあなたの困らせようとして、相手は服を脱ぎ散らかしたり、

話を聞かなくなったわけではないと思います。

特に夫婦の場合、好きになって付き合って結婚した夫婦が多いはずですし。

 

ところが、最初の頃にこの「問題」が起こった時に、

それを自分の中で「問題」としてとらえてしまうことで、

日常的にその「問題」が何度も起こるので、だんだん溜まってきて

「怒り」になったり、「あきらめ」になったり、

 

相手のイメージが「この人は私を愛していないんじゃないの?」

というものに変わってしまいます。

 

つまり、私を愛していないから、そういう「問題」行動を

するんだ。というようなイメージになっていってしまいます。

 

こうなってくると、だんだんとお互いに「敵対モード」に入って

しまうので、お互いに相手の発言や行動がいちいち気に障る

という良くないループに入っていきます。

 

そして、主婦の方に多いですが、

「旦那さんが愛してくれない」と同時に、

「ちゃんと家のことができていない自分」というのを自分で

責めたりして、どんどんループの中に入り込んでいきます。

 

もう一度言いますが、そもそもその行動自体が「問題」でも、

「愛していないことの現れ」でもありません。

 

ただ単に今まで育ってきた環境の違いから「常識」が

違うだけです。

 

出来るだけ最初のうちに「怒り」に代わる前に、

「どうしてそういう行動をするの?」ということを

話してみてください。出来るだけ明るいトーンで。

 

そして3つ目の「食い違い」として

大体の場合、最初の方にこの「問題」について話し合わないで、

「怒り」に代わって、たまりかねてから

「なんでこういうことするんだ!?」という感じで言ってしまいがち

になるので、

 

当然自分も「敵対モード」だし、相手にしてもそういう言い方をされると

「敵対モード」に入ってしまって、

 

お互いに「自分が正しい」という主張のぶつかり合いになって

しまいます。

 

はっきり言って、どちらが正しいなんて話は無駄です。

どちらも正しいし、どちらも正しくないです。

 

例えば、女性が一夫多妻制の大金持ちの家に嫁いで

旦那さんに、「どうして他の女性と結婚するのよ!?」と

問いただしているようなものです。

 

自分にとって「常識」であっても、それがみんなの「常識」

ではないんです。

 

「言わなくても分かってよ」というのは正直難しいです。

同じ日本で生まれ育ったとしても、それぞれの家族の常識が違います。

 

だから、もし夫婦間や人間関係を本当に良くしたいのであれば、

「敵対モード」に入らないで、

 

「私はこう思うけど、あなたはどう考えているの?」

という感じで話し合うのが一番だと思います。

 

どうしても一度「敵対モード」に入ってしまうと、

その話題が出るたびにお互いに身構えてしまって、意地でも自分の

主張を通そうとしてしまいます。

 

そして、逆に、そのことについて相手の言うことを聞いたら、

自分が負けたというような気持になるので、

逆に、わざとそのことを言うとおりにしようとは思わなくなります。

 

☆人間関係では「競い合わない」「相手を下に見ない」

夫婦関係もそうですが、友達関係でも、親子関係でも、

そうしても人間、動物の本能と言ってもいいかもしれませんが、

 

「自分の優位性」を確認したくなるものです。

動物同志だと「マウンティング」と言われたりしますが、

犬が相手の上に乗ろうとしているアレです。

 

そして「自我」というものが増長すると、どうしても、

自分の優位性を強調して、相手を屈服させることで、安心したい

と思ってしまいがちです。

 

最近社会的に「問題」とされている「パワハラ」「モラハラ」

なんかもこの一種ですが、

 

自分が「相手より強い」と安心したいという心理です。

まあそういう人に限って、自分に自信が無いから相手を下に見る

ことで、自信を付けたいと思っているんでしょうけどねw

 

でも、それをしていると「良い人間関係」というのを築くのは

難しいですよね。

 

ところが、夫婦や家族間でも、この「マウンティング」が

行われていることで、「愛されていない」と感じることに

つながってしまいます。

 

先ほども書きましたが、相手が自分の思っている通りに

動いてくれないから「愛されていない」というのは全くの間違いです。

というか、別問題です。

 

相手の行動は、相手が相手の「常識」に従って動いているだけです。

 

そして、それを「問題」と判断するのは、あなたの中の「常識」と違うから

「相手が違っている」と勝手に思うからです。

 

さらに、「相手がそうしてくれないのは私を愛していないから」というのは、

 

「私ならこうするのに、相手がこうしてくれない」ということは、

「私のことを愛してくれていないからだ」

と自分の「常識」に縛られてすべてを判断してしまうからです。

 

そして、こういう人はすごく自分の中に、

「こうしなければいけない」というルールみたいなものが多く、

それを強く自分に課しているので、

 

「私はそれを辛抱してでも守らなければいけない」と無意識に

生活しているので、

 

相手がそのルールに沿っていないと、

「私が我慢してこんなにも頑張っているのに、なんで

してくれないんだ!?」

「あなたもがまんするべきでしょ!」

 

という感じで、そのルールを守れない相手を

「間違っている」と判断して、

「この人はどうしようもない人だ」「私が世話をしてあげなければ

何もできない人だ」と「自分よりも下」に見ることで、

 

実は、「自分の方が上」と安心したいからだったりします。

 

しかし同時に、「相手に愛されていない」という欠乏感に

悩んだりしています。

 

この解決策を一言で言うと「相手に期待しない」

ということです。

 

まず、先ほども書いたように

「相手の行動は愛しているからとか、愛していないから

ということとは関係ない」

 

という視点で、切り離して考えてみてください。

 

そして次に、その相手の行動によって自分は何が困るのか?

または、相手のその行動を「問題」だと思うのは、自分の中の

どんな「常識」があるからなのか?ということを考えてみてください。

 

その「常識」は本当に持ち続けるべきなのか?

そのあなたの中のルールを守らなければ生きていけませんか?

相手にも従ってもらわなければいけませんか?

 

そして、気になるのであれば、相手に

「私はこう思うけど、あなたはどう思う?」ということを

話し合ってみてください。

 

究極のところ、「相手の行動に期待をしない」ということです。

 

先ほどの「服を脱ぎ散らかす」という話であれば、

 

その「服が脱ぎ散らかしてあって部屋が汚くて、居心地が悪い」

と感じるのはあなたです。それを許せないのはあなたです。

あなたが「問題」だと思っているんです。

 

だったら、あなたが片づければ済む話じゃないですか?

家族のみんなにもしてほしいのであれば、怒らずに

「片づけてくれるとうれしいな」と頼んで、

片づけてくれたら「助かる!ありがとう!」と言ってみる。

 

ここで、自分が下になるのは嫌とか思わない。

下じゃないです。そもそも上も下もないし、

自分が心地のいい環境を整えるために必要なことです。

もう少し言えば、あなたのその言葉で、状況をコントロール

しているともいえます。

そう考えて満足してくださいw

 

そして、基本的には相手がどんな行動をしていても、

してくれなくても、そこにあなたの常識を持ち込まないでください。

 

相手は「それが必要」だと思ってその行動をしています。

 

逆に、「それは必要ない」と思っている、もしくは、全く

気にも留めていないから、その行動をしないんです。

 

そして、あなたも相手も実際は

「本当に愛する」ということがどんなことか分からずに、

それぞれの基準で「愛そう」「愛されよう」としています。

 

「愛とはこういうことである!」という答えはありません。

 

今この瞬間、この時代にこの世界に一緒に存在する。

それだけで、「私は愛されている」と思って生きてみませんか?

 

そして、まずは、そのままの自分を愛してみませんか?

 

不思議なことに、自分を本当に愛せる、許せることが

出来ると、他の人も許せて、愛することができます。

そして、どんな形であろうと、実は自分が愛されていた

ということに気づくと思います。

 

あなたは、すごい存在ですよ。

 

あなたが日々やっていることは、誰かの役に立っていて、

それだけで価値があります。

 

そんな自分自身を愛することが出来たら、世界は変わります!

 

これはマジです!

 

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