
☆「人生は苦である」?一切皆苦?ブッダ(釈迦)の言葉の意味と生き方
こんにちは!心理カウンセラーで気功療術師で、
「人生が根本から変わってしまう『NLAメソッド』」のトモヒトです!
さて、今回は、前回ご紹介した本、カルロ・ロヴェッリさんの「時間は存在しない」
でも引用されていた、ブッダ(釈迦)が言ったとされる、「一切皆苦(人生・この世は苦である)」という言葉。
今回は、この言葉の意味と、「それではどのように生きれば、幸せでいられるのか?」ということを考察したいと思います。
「一切皆苦(人生・この世は苦である)」、確かにこの言葉をあのブッダ(釈迦)が言ったのかと思うと、それこそが「真理」であり、変えられないことなのかと絶望を感じるかもしれません。
現に、僕の奥さんは、子供のころにお坊さんの話で「人生は苦である」と言われて、
「じゃあ何のためにうまれてきたの!?」と絶望を感じて、それ以来この言葉がトラウマになったと言っていましたw
しかし、この言葉も色々な解釈、考え方をしていくと、「変化を受け入れよう」というメッセージだともいえます。
そのあたりも含めて、出来るだけ前向きな、「NLAメソッド流」解釈をして行きたいと思います!
☆そもそも、「一切皆苦」とは?
この「一切皆苦」という言葉、正しくは「一切行苦」と漢訳されるようですが、ここでは一般的な「一切皆苦」で統一します。
この「一切皆苦」という言葉は、仏教における「四法印」と言われ、仏教の根本的な4つの教えの一つであり、
1、諸行無常(しょぎょうむじょう)・・・すべてのものは移り変わり、変わらないものはない。
2、諸法無我(しょほうむが)・・・すべてのものは関係性の中で生まれ、独立したものはない。(縁起とも言われる)
3、一切皆苦(いっさいかいく)・・・この世のすべては「苦(思い通りにいかない)」である。
4、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)・・・悟りを得ることで、安らかに生きることができる。
というものの一つです。
今回は特に「一切皆苦」を中心に扱いますが、これらの4つはすべてつながっているともいえます。
1、諸行無常
つまり、「諸行無常」すべては移り変わっていく、人は老い、病気にもなるし、考え方も変わる。時代も変わり、慣れ親しんだものも消えていく・・・やがて死を迎えるという逃れられない事実がある。
私たちは、「安定」「定着」「不変」「普遍」「不老不死」を求めますが、この世の中の唯一の「真理」とも言えるのが、「全ては移り変わっていく」ということです。
2、諸法無我
次に「諸法無我(縁起)」この世のすべての出来事、感情などは独立して発生するものはなく、すべてが関係性の中から生まれる。簡単なことで言うと、「今日はカレーが食べたくなった」⇒「街でカレーの香りがした」⇒「カレー屋の前を通った」⇒「仕事の営業でその方面に行くことがあった」・・・
という風に、すべての出来事には辿っていくと、いくらでも「原因」が辿れます。そもそもなんで営業職になったのか?なぜその会社を選んだのか?
すべての事柄に無数の「原因」が絡んでいます。すべては「自分の意志」で行っていると思っていても、その「意志」が浮かんできた原因も無数にあります。
このように、「AをすればBになる」という単純なものでは無く、それを個人で操作することなど不可能です。
3、一切皆苦(一切行苦)
そして、その「変化」や「思い通りにならない」ということを「悲劇」とするならば、この世はすべて「苦」になるでしょう。
すべての「苦」は「このままで居たい」という「執着」から生まれてきます。
「若いままで居たい」「この人とずっと居たい」「この生活をずっとしていたい」・・・
この「苦」には「四苦八苦」と言って、8つの「苦」があります。
まずは「四苦」
1、「死」・・・死ぬということ
2、「病」・・・病気になること
3、「老」・・・老いていくということ
4、「生」・・・生きる苦しみ
次に「八苦」
5、「愛別離苦」・・・愛するものと別れること
6、「怨憎会苦」・・・恨みや憎しみを感じる相手と出会うこと
7、「求不得苦」・・・求めるものが得られないこと
8、「五蘊盛苦」・・・心や体が思い通りにならないこと
後ほど詳しく解説しますが、こうやってみると、やはりすべてが「自分が原因」で起こってくるのが「苦」だということが分かると思います。
4、涅槃寂静
そして、これらの「四苦八苦」(自分の執着・煩悩)から解放されて、心安らかに生きること。
この世の中の仕組みを見抜いて、心みだされることなく生きられる。「悟りを開いた」状態を目指すのが仏教の教えと言えるでしょう。
(悟りを「目指す」というのは正しくないのですが。努力によって達成できるものでは無い)
◎「一切皆苦」とは
ここまで見てきて、「一切皆苦」という言葉は、
この世はどんなものでも移り変わっていく。そして、生きる上で起こってくる「出来事」「経験」「感情」「他人」などは、すべて、自分の思い通りにならないものばかり。
そして、人は時に「病気」にもなるし、愛する人との別れも経験するし、どうしても合わない人とも出会う。自分の心さえも思い通りにはならない。
「思い通りにならない」ということを「悲しみ」「苦」であるとするなら、
それでも、「いや、自分の意志で思い通りにするんだ!」と「執着」するならば、
「この世界はすべて苦である」ということになるけど、逆に
「この世はそういうもんだから仕方ないよね」と思うことができれば、
「悩んだっていいし、どうしようもない自分になってもいい。だってそういう世界なんだもん」という心境になることができれば、
「全ては想定内」ということだから、「楽に生きられる」と思わない?ってことじゃないかと。
次は「幸せってなんなの?」ということから、「幸せに生きる方法」を考察していきます。
「一切皆苦」とは、この世界は移り変わるものであり、無数の関係性が生み出すものでもあり、個人の思い通りにならないことが多い。しかし「自分の思い通り」ということに「執着」せずに、「この世界はそういうものだ」から仕方ないという観点から見ていくと、少し楽に生きられる。
☆そもそも「幸せ」って何!?
さて、ここで「人生は苦である」となる原因は「思い通りにならないから」だと分かりました。
そして、その「思い通りにしよう」「幸せになりたい!」と「執着」するからこそ、今目の前の状況がその「思い描いたもの」、つまり「自分が想定した『幸せ』」の状態と違うから、苦しみ悩むということです。
じゃあ、そもそも「幸せ」ってなんなの?ということです。
◎その目標、本当に「幸せ」?
結局、私たちのこの世界で「苦しみ」を感じるのは、「こう言う状態が幸せだ」と勝手に想定して、その通りにならないから、悩み苦しむのです。
じゃあ、あなたにとって「幸せ」って何ですか?
社会一般的な「幸せ」といえば、「お金持ち」「良い相手と結婚」「ビジネスで成功する」「みんなから尊敬される」「美男美女」・・・という感じですよね?
でも、それって本当に幸せなんでしょうか?
特に、「あなた」にとってそれらは本当に幸せですか?
まあ、もちろん「まだその状態になったことが無いから分かりません」という人も多いでしょうw
しかし、皆さんもテレビなんかでもちょくちょく見るだろうし、僕も個人的に相談者さんや、世間一般には「成功している」と見られている人と話す機会もありますが、
正直本当に「幸せ!」と感じている人は居ないように感じます。
どんな立場になろうと、どんな状況、経済状況になっていようと、みんな「幸せってなんだ?」と探しているようにしか感じません。
◎「良い相手」と結婚しても・・・
これは実際にあった、ある女性の話ですが、
その方は30代後半で美人で、いわゆる「ハイスペック」な男性と結婚されています。2人のお子さんにも恵まれて、
どう考えても、世間一般で見たら「勝ち組」と言われるような、庶民からすると
「いやいや、何に悩むことがあるんだよ!?」と思うような状況の人ですが、
それでも真剣に、「結婚した当初は良い人と結婚できたと喜んでいたんですが、まじめで良い人過ぎて、段々と自分の居る意味がわからなくなってきて・・・」というのです・・・。
そして、深く話を聞いていくと、「支えられるよりも、支える方が好きみたいです」ということなんです。
つまり、世間一般で「幸せの条件」とされることを達成したからと言って、それがすべての人に当てはまるわけでもないし、
もっと言うと、そういう人はきっと逆の立場になったらなったで、
「旦那がしっかりしてくれない」「支えるばかりじゃなくて支えられたい」という不満を持つのだろうと思います。
◎「仕事がしたい!」と感じたこと
そして、もう一つの例で言うと、僕は基本的には
「できるだけ仕事をせずに暮らせたらいいな」という考え方なんですがw
在宅でパソコンで仕事をしていると、特に子供たちが小さかった頃は、仕事をしつつも、子供たちのことを気にしていないといけないので、
奥さんも家にいるときは良いんですが、奥さんが仕事なんかで出ているときは、僕が仕事をしつつ子供の世話もすることになって、
一時期、「おいおい、いつになったらまともに仕事ができるんだよ!?」と「仕事をしたい!」という欲求が募りました。
そして、子供を連れて奥さんが出掛けた時などは、急いでパソコンに向かって
「よ~し仕事するぞ!」と普段はあまりしたくない「仕事」でさえも、仕事ができることに幸せを感じました。
◎「幸せ」って比較や相対的にしか感じない
この2つの例のように、「幸せ」って実は、何かと比較したり、「苦」を感じないと感じられないものだったりもするのです。
生まれてからずっと大金持ちだったなら、「お金が豊富にある」ということに幸せを感じなくなるし、
ずっと貧乏なら、「1万円」でも臨時収入があれば、幸せだと感じるし、
普段は「当たり前」になっている家族でも、失って初めて「あの一緒に居れた日々が幸せだったんだ」と気づいたり、
病気やケガで入院した時に、「当たり前に動けていた日常が幸せだったんだ」と気づいたり。
実は、幸せって、「すでに持っているもの」でもあるんです。
◎「幸せ」はあなたしか感じられない
そしてまた、「幸せ」とはあなたしか感じられません。
お風呂が好きな人にとっては、1人でゆっくりお風呂に浸かる瞬間が「至福」だったりしますが、
お風呂に興味がない人にとっては、記憶に残ることも無い、「トイレに行く」のと同じくらいの価値しか感じなかったりもします。
結局、「幸せ」というのは、「自分だけが感じるもの」だし、「自分にしかわからないもの」でもあるのです。
それなのに、多くの人は「自分にとっての幸せ」がどんなことか分からずに、闇雲に世間一般で「幸せ」とされていることを達成しようと頑張っているのです。
だから、「人生が苦」になっていってしまうのです。
次は、その「自分の幸せ」に気づき、それを見つけていく方法を考察していきます。
「幸せ」とは、比較や相対的に感じるものでもあるし、「自分にしか分からないもの」なのに、多くの人はその「自分にとっての幸せ」をよくわからないままに、世間一般で言われている「幸せの条件」を達成しようと頑張って、それに執着してしまっているのです。しかし、日常の「当たり前」の中にもすでに「幸せ」はたくさんあるのです。気づいていないだけなのです。そして、その「幸せ」に気づき始めると・・・
☆「自分の幸せ」を見つけよう!
さてここまでで、「この世界は移り変わる」「自分の思い通りにいかないことがほとんど」ということ、
また、私たちはいずれどんな形であれ、「別れ」「死」を迎えることは避けられない。
しかし、その上でも、「この世界はそういうものだ」と受け入れていく。そのことで少し気楽になれて、
「幸せ」とは比較したり、相対的にしか感じられないもので、今「当たり前」になっていることの中にも実はたくさんある。
ということを見てきました。ここからはその「自分の幸せ」を見つけていきます。
◎「自分の幸せ」の見つけ方。
さて、あなたにとっての「幸せ」ってなんでしょうか?
なかにはすでに見つけていて、「それをやるために生きている」と感じられている人もいるでしょう。
しかし、今まで「世間一般の幸せ」を追いかけることで、それを見つけられなくなっている人もいると思います。
多くの人は「世間一般の幸せ」ばかりを探しているために、「自分の幸せ」「今ある幸せ」を見ても、「これは幸せじゃない」と見つけられなくなっています。
その「幸せを見つける」方法を3つあげてみます。
1、もし、「荒野」に放り出されたら?
これは「どうしても自分の幸せが思いつかない」という人向けの方法です。
もしあなたが、今いきなり、全裸で何もない荒野に放りだされたら、どう感じますか?
できるだけリアルに想像してみてください。
それと比べて、今の生活はどうでしょうか?
「水道があって、いつでも水が飲める」?「電気があっていつでも温まれる」?
「スマホがあって、いつでも誰かと、何かとつながれる」?
「雨風をしのげる屋根があって、凍えずに生きていられる」?
そうやって考えてみると、私たちはすでにたくさんの「幸せ」を持っていることに気づきませんか?
「荒野」じゃなくても、「海外の極悪刑務所に入れられたら?」と考えても良いでしょうww
今の生活って、実はすごく幸せにあふれていると思いませんか?
2、「うわ!これは嫌」って感じることは?
次に、「なんとなく自分の幸せは分かるけど、具体的には分かりにくい・・・」という人向けの方法です。
これから日常生活の中で、「うわ!これは嫌だ」とか「この状況抜け出したい!」と感じた時に、
じゃあ、逆に「自分がどんな状況ならいいのか?」ということを思い描いてみてください。
そして、「そうなった自分」の気持ちを感じてみてください。それがあなたがこの世界に求める「気持ち」です。
実は、私たちは、「物」や「状況」ではなくて、「その気持ち」を感じることが幸せなのです。
「怒り」「イライラ」「悲しさ」を感じる裏には、あなたの「幸せ」が隠れているのです。それを見つけてください。
そして、その思い描いた「幸せな気持ち」を感じられることを小さなことからやっていってください。
3、「これをしているときが幸せ」と感じること
そして、普段から先ほどの「お風呂」の例のように、
「ああ、これをしているときが幸せ」と感じることがある人は、それを意識してみてください。
私たちの多くは、今まで「これを達成しなければ幸せじゃない」と思いこんできたために、実は日常にそうやって幸せを感じていても、
「まあ、これは幸せだけど、取るに足らないものだから置いといて・・・」と、「日常の幸せ」を軽視しがちです。
しかし、先ほども言ったように、私たちがこの世界で感じるべきは「気持ち」なのです。
「お風呂」のように、あなたが普段「小さな幸せ」を感じられることをどんどん実行してください。
実は、それがあなたの「天職」なのかもしれません。
◎小さな幸せを見つけると・・・
そして、ここからが大切です。
今までの話で、「日常には小さな幸せがいっぱいある」だから、「それに納得してそれ以上求めないでおこう」ということではありません。
そうやって、日常の中に「自分の幸せ」を見つけられるようになると、
「あなたの生活の中に『幸せ』が増えます」
これは前回の記事「カルロ・ロヴェッリ「時間は存在しない」考察 レビュー」でも少し触れましたが、
この世界には、物理学的に「一定に一方向に流れ続ける時間」というものが見つけられない。
そして、「諸行無常」「諸法無我」が表すように、物理学の世界でも、この世界の「時間」や「存在」というものは、「関係」「相互作用」によって生み出される(としか考えられない)といいます。
(2000年以上前に、ブッダがこのことを見抜いていたのがすごい!)
さらに、どうも「すべての現実」は同時に存在していて、その中から「近似値」をピックアップして、つなぎ合わせ、創り出している「自分のストーリー」が、私たちの「人生」だということ。
ここからは、僕の「NLAメソッド」の根幹部分になりますが、
だから、普段から「自分の幸せ」に敏感になって、いつも幸せを見つけられるフィルターになっていると、私たちの「意識」が、その「近似値」である、「幸せな現実」をどんどんピックアップして、
「幸せなストーリー」を生み出していくということです。
今は信じられないと思いますが、あなたもきっとそれを実感していくとおもいます。
さて、本当はもっと詳しくさらにその先まで解説しようと思いましたが、
あまりに長くなりそうなので、続きは次回!
「生きる意味を考えてみた。「この世界」をもっと楽に生きる攻略法!」で
この世界が「遊園地」なら?「ゲーム」だとしたら?どう攻略する?