☆人生は何かを「達成」するためにあるのか?
さて、私たちは普段生きている上で、何かの「目標」
を常に持っていると言っても過言ではありません。
例えば、
「いつかマイカーを買おう」とか
「いつかマイホーム」を買おうとか、
そういう少し大きな目標じゃなくても、
日々、
「体重を◎キロ減らそう」とか
「今日は◎キロ歩こう」とか、
色々な目標をもって生きていることが多いと思います。
また、仕事をしている場合は、
「この案件を◎日までにおわらせよう」
「今月は○○万円売り上げよう」
「次は課長に昇進しよう」
というような目標をもって働いているということも
あると思います。
◎「目標」に追い続けられて生きる?
しかし、ふと気づくとその「目標」に追い立てられるように
生きている感じになっていることってありませんか?
僕も時々感じますが、調子よくゲーム感覚で、
「目標」を設定して、その目標を達成していくという
流れに乗っているときは、楽しいし、達成感があるんですが、
それがいつの間にか、
「目標を次々設定しなければいけない」
「その目標をどんどん達成しなければいけない」
という感じで、「~~しなければいけない」という
半ば強迫観念にとらわれるようになる瞬間があります。
これは主に、「自我」「マインド」と言われる、自己意識。
本来の自然の自分というよりは、
この「社会」に適合する用の意識と言ってもいいかもしれませんが、
この現実世界のゲームをうまくやっていくための
意識ですね。
そして、その「自我」は、常に「問題」や「目標」を
設定して、
「解決」「達成」をしなければと奔走しています。
◎「悟り」とは、その束縛から抜けること
以前「悟りとはどういうものなのか?」という記事で書きましたが
「悟り」とは、その「自我」「マインド」から解放されて、
「そのままの世界」を感じる、気づくことといえます。
先ほども言ったように、「自我」は常に「問題」や「目標」
を設定して、それを「解決」「達成」していくことが
「生きること」と思い込んで生きている。
逆に言えば、常に何かの問題を抱えていないと
「自我」がこの現実で生きる上で役割がなくなります。
そして、この「自我」がこの現実世界というゲームを
楽しむためのツールともいえますが、
同時に、私たちの人生に常に何かの問題をもたらします。
というか、実は何の問題もないところに、
あえて問題を見出し続けています。
なので、私たちの意識の上では、常に「生存」
するために問題が起こり続け、
それが「不安」「心配」として沸き上がり、感じています。
◎その「ゲーム」から離脱しないと・・・
そして、その「自我」が作り出すゲームは、この現実世界
を生きる上で、楽しみでもあるんですが、
どんなゲームでも24時間、毎日やっていると飽きるし、
疲れるし、
それが楽しいうちはいいんですが、
「不安」や「心配」を感じ続けて、不快感でいっぱい
であれば、そのゲームをやめた方が良いですよね?
もし友達が、「スーパーマリオ」を毎日やっていて、
「もう!このゲームマジで飽きたし、難しくて解けないんだよ!
しんどいし、辛いし、不快感一杯なんだよ!」
って言ってたらどう思います?w
「いや、じゃあやめろよ」
って思いませんか?w
ところがこれが「人生」「現実」ということになると、
「あきらめるなよ!もっと頑張ればいけるよ!」
とか、もっと厳しい人になると、
「甘えるなよ!逃げるのか?死ぬ気で頑張れ!」
となったりします。
もちろんそれは、
「これは人生であって、ゲームなんかじゃない
そして、この人生は逃げずに頑張らないとダメ」
という、「現実世界」の基本理念のようなものが
みんなの中にあるからともいえます。
◎「達成」しなければいけないことなんてない
しかし、人生に「達成」しなければいけないということはありません。
もちろん、それが自分にとって楽しくて、
どうしても達成したいような夢があるなら、そのゲームを
やり続けて、「達成」を目指すのもいいですが、
もし今生きていて、いつのまにか「達成中毒」
になっていたり、目標に追い回されている、
生きることにはたくさんの障害があって、それを
乗り越えていかなければという、不安などの不快感
を感じ続けて、生きることが苦しいと感じている
としたら、
「自我」「マインド」の罠にはまって、
本当は別に解決しなくてもいいようなことを、
「解決・達成しなければ!」と思い込んで、
生きているのかもしれません。
一度立ち止まって、それが本当に達成しなければ
いけないことなのか?
それを感じてみて、べつにいいやって思えるなら、
その目標をすてるということもありだし、
何かを達成するから何かを得られるということではない
という視点から、自分の本当にしたいことをやる
ということを始めてみると、実は人生に
大して問題が起こってこなくなります。
目標を追いかける生き方、目標に追いかけられる生き方
を一度横に置いてみて、人生を見直すと、
本当に自分がしたいことが見えてくるかもしれませんよ。