
☆思い出の道と人間の「俯瞰能力?」
こんにちは!人生を根本から変えてしまう「NLAメソッド」のトモヒトです!
さて今回はなんてことない日記的な話ですが、
ちょっと面白かった、能力自慢?的な「人間の能力の不思議」的な話も。
先日の午後、久しぶりに図書館まで歩いて、予約していた本が図書館に届いた
という連絡があったので、それを受け取りに行ったんですが、
図書館の隣の建物が、以前「気功」を習っていたホールで、
久しぶりにその道を歩きながら、亡くなった、気功の林信之先生を思い出しました。
(まあ当時は、ほとんど奥さんに車で送ってもらってましたが)
確かに毎週通っていたのに、今はもう思い出だけになって、
なんか、「本当に通っていたんだろうか?」と思うくらい、
過去のことに感じました。
今年、先生の「お別れ会」が開かれ、
その時に先生の助手をされていて、
僕もお世話になった「Yさん」に会って、
「今でも、胸がグッときます。先生は完全に過信です。
気功や太極拳をやってるからと、タバコも酒も続けて・・・」
と怒ったように語るのを見て、
この人はそれだけ先生に思い入れがあったんだなあと感じました。
図書館までの道中、そんなことを思い出しながら、
快晴の青空の下、改めて、何気ない一日の愛おしさを感じました。
もう戻ってこない、林先生に気功、太極拳を習った日々、
こんな風にぼんやり歩いていられる幸せ。
そうやって日々を味わうことこそが「人生」だなと実感しました。
◎悩めるって幸せなこと!
これも先日、「占い師」帰りの奥さんと話していて、
「今日も3人鑑定してきたけど、なんか、悩めるって幸せなことだなって思った」
と言っていました。
「悩める」って、結局「選択肢がある」「選択権」があるということだと思うんです。
例えば、以前テレビでみた、ブラジルのゴミ捨て場で暮らす少年。
その少年は、親に捨てられて、
毎日生きるためにゴミの山の中で寝て、
朝起きたら、ゴミの中からプラスティックゴミを集めて
それを売ってパンやイモなどを買って、日々暮らしています。
時には、そのわずかばかりのお金や食べ物を奪うために
ナイフで刺されたりもするのです。
そして、そんな暮らしの中でも、ご飯を食べる時は「幸せだ」と笑うのです。
今の彼には「この仕事は僕に合ってるだろうか?」とか
「両親が『毒親』だったせいで!」というような悩みを抱えている余裕はありません。
彼が止まった瞬間に、今日のご飯も食べられなくなるのです。
だから、ナイフで刺された傷も治らないうちからまた、ゴミを拾うのです。
もちろん、だからと言って、
「僕らは幸せなんだから、悩みなんて持つ必要ないだろ!?」
と言うつもりもありません。
どんな状況でも、それなりに人は悩むものだと思います。
でも、そうやって「悩める」ということは、逆になにか、
幸せな瞬間もあるから、余裕もあるから、悩めるんだと思うんです。
本当に追い詰められたら、悩むひまもなく、
「とにかくやるしかない!」となっていると思うんです。
「悩み」よりも、その幸せな瞬間、
自分には選択肢が色々とある、ということにフォーカスしてみませんか?
◎人間の「俯瞰能力」?「現実創造能力」?
さて、その図書館に行く道中で何気なく感じたことなんですが・・・
図書館に歩いていくのはもちろん時間に余裕がある時なので、
普段、家から図書館まで歩いて何分くらいかかるか意識したことがありませんでした。
その日は、家から歩きだして、しばらく経った時に、
ふとスマホを見ると、家から4分経過していました。
そこで、家からその場所(A地点)までの距離を頭に浮かべて、
その場所から図書館までの道筋を頭に浮かべて、俯瞰で見ていくと、
家からA地点までの距離から考えると、
A地点から図書館までの距離は大体「7倍くらいかな?」と感じました。
つまり、家からA地点まで4分。
4分×7=28分、A地点から図書館まで、あと28分くらいかかるだろうから、
いま現在13:32だから、14:00くらいに図書館に着くだろう。
という計算で、後は図書館まで、特別急ぐわけでもなく、
時計を見ることも無く、家からA地点まで歩いてきたペースを意識して、
図書館に到着した瞬間にスマホを見たら、「14:00」ぴったり!!
ちょっと感動してしまいました。
これには2つの側面があって、まず一つは、
僕は今まで、もちろん空を飛んだことも無ければ、
ドローンを飛ばしたことも無く、
家から図書館までの道をグーグルアースなどで見たことも無いけど、
「頭の中」で上空から道筋を思い浮かべられる、
そして、その距離感も頭の中で測定できるということ。
これは以前から不思議だったんですが、
例えば、今僕は自分の部屋のパソコンの前の椅子に座っていますが、
今までその角度から見たことも無いけど、
頭の中で、自分や部屋を上空からどんなふうに見えるかが思い浮かべられる。
それを思い浮かべる瞬間、「視点」が体を離れて浮かび上がるような感覚?
やはり、私たちの「意識」は肉体に限定されているものでは無いのかな?
という感じ?
もう一つは、僕の距離感、計算能力がすごい!天才!という・・・
いやいやそうじゃなくて、「14:00につくだろう」と
思ったから、体が自然とそのペースに合わせた?
もしくは、僕の意識が「時間」と「空間」をその瞬間に「創りだして」
「14:00ぴったりに到着する」という現実を見せた?
まあ単純にその道のりは、初めて歩いたわけではないので、
今までの歩いた経験から、「大体何分くらいかかる」という体感があって、
それが「28分」ということを感じさせたのかもしれないけど、
かといって、合わせに行っても、ぴったり14:00に着くというのは難しそうだし・・・
という感じで、色々な方面から神秘みたいなものを感じてしまいました。