![[3分で分かる]生きる意味とは?生きる意味が分からない。](https://i2.wp.com/hikiyose-saikyou.com/wp-content/uploads/2020/03/20200303-013.png?fit=510%2C340&ssl=1)
こんにちは!心理カウンセラーで気功療術師で
「NLAメソッド」の考案者、トモヒトです!
今回は、人が生きていくうちで誰しも一度は考えたり、悩んだりした経験があるであろう、
「生きている意味とは?」ということについて書いてみたいと思います。
これを知っていると知らないとでは、
これからの生き方が180度変わってくると言ってもいいかもしれません。
☆生きる意味とは?
僕も実際にそうでしたが、特に思春期や、20代後半などにはよく
「自分は何のために生きているんだろう?」
「どうやって生きていくべきなのか?」
というようなことを考えた覚えがあります。
そもそも、人生に意味はあるんでしょうか?
僕はこのブログでも何度か書いているように、20代前半の頃に「パニック障害」になってから特に自己啓発やスピリチュアル系の本などをとにかく大量に読みました。まあ今でも読んでますが。
その中で、色々な「生きる意味」を探求してきましたが、その中である時に「大きな気づき」がありました。
それは、
「人生(全体)自体に意味は無い」
ということ、そして、
「本当に意味があるのは、この日々の体験である」
ということです。これだけ言われても、何のことか分かりませんよね?
まずは、結論を分かってもらって、その理由を解説していきたいと思います。
◎生きる(人生)意味は無い?
もしかすると、「生きる(こと自体に)意味は無い」と言われると、ショックを感じる方も居るかもしれませんが、
誰か一人の人生も含めて、この世界で起こること自体には意味はありません。
ただ、物事が起こっているだけです。
その起こっている出来事に対して、私たち一人一人が「意味」をつけているだけで、目の前で同じ出来事が起きても、Aさんにとっては「悲しい出来事」Bさんにとっては「うれしい出来事」Cさんにとっては「どうでもいいこと」というように、人それぞれの価値観などから、物事の意味は変わってきます。
そのように、たとえ自分で「つまらない人生」と思いこんでいても、人から見れば「うらやましい人生」に見えるかもしれません。
例えば、お寺の家で生まれて、僧侶を継がないといけない。本人にとっては、色々と葛藤があって、もっと他の仕事をしたいと思っていても、やはり家を継いだほうが良いから、僧侶になったけど、退屈だと感じれば、「つまらない人生」になるかもしれませんし、
それを友人が見て、「いいなあ、俺なんてなかなか就職先が決まらないのに、仕事が決まってて」と思うなら、友人からしたら、その人生は「うらやましい人生」かもしれません。
このように、どんな物事も人生でも、それ自体に意味があるわけではなく、それを誰かが見て「意味づけ」をした時に、その人にとっての意味が生まれてきます。
「人生」自体に意味があるわけではなくて、人によって、立場によってその人生の「見え方」が変わってくるので、同じ人生、物事であっても、人や立場によって違う意味が出てくる。
◎「意味」は時によっても変わる
そして、次に、僕も40年生きてきて、
例えば20代の頃に「最悪の出来事」と思っていた「パニック障害」ですが、30代以降の僕からすると、
「あの経験があったから、色々な経験や、知識を得ることができて、その後の人生が180度変わった」きっかけになった出来事になっています。
つまり、その瞬間は「なんで自分がこんな目にあわないといけないんだ」という経験であっても、
時とともに、「そのことがあったからこそ今の自分が居る」と思えるようなことも多々起こります。
つまり、一見「不幸」な出来事でさえも、時間や環境などの変化によってその意味合いが180度変わってしまうということも起こってくるということです。
なので、やはりその出来事や物自体に絶対的な意味があるわけではなくて、そこに自分のその時の状況で感じる「意味」を付けることで、初めて意味が出てきます。
つまり、「良い人生」も「悪い人生」も自分の感じ方次第、評価次第だし、不変の意味もないということになります。
また人生の中で、起こった出来事は同じでも、年齢や環境・状況などによって本人の中でも「見方」が変わっていくので、その瞬間「不幸な」出来事でも、時間の経過とともに「ありがたい」出来事に変わることもある。
◎起こることにも意味は無い
ここから書くことは、ちょっと複雑な話のなので、意味が分からない場合はスルーしてもらって構いませんが・・・
今は実感できないかもしれませんが、全ての出来事は何か「意味」があって起こってくるわけではありません。だから、「この出来事が起こった意味は?」と考えてもあまり意味は無いんです。
仏教などでも、「縁起」という言葉が表すように、この世界はあらゆる要素が重なり合って成り立っています。物事がそれ自体だけで存在する、起こってくることはありません。
私たちも普段、「自分で考えて行動している」と考えていますが、「そもそもなぜそのように考えたのか?」ということを掘り下げていくと、実は自分で考えだしたとは言えなくなります。
⇒「なぜ、それを選んだのか?」
例えば、「今日はカレーが食べたい」と思って、カレーを作って食べたとします。
その「カレーが食べたい」となぜ思ったかと言うと、「ふと思いついた」「テレビで見た」「街でカレー屋さんを見た」というような、どこかからふと湧いてきた欲求によって、「カレーが食べたく」なったんです。
自分で考えだしたわけではなく、たまたま「カレーが食べたくなった」んです。
全ての出来事を思い返して掘り下げてみると、「よく考えてみると、あの時なんで私はあんなふうに思ったのか?」「なぜ、あの時僕はあんな行動をしたんだろう?」ということばかりだと気づくと思います。
「なぜAでなく、Bを選んだのか?」
「なぜあの時Aさんにあんなことを言ったのか?」
私たちは、その瞬間に「たまたま湧き上がった欲求」によって生きていると言っても良いと思います。
そして、そのことに後から意味を付けるのは、それを見た人の価値観です。
⇒そのことが起こる原因もわからない
だから、出来事自体に意味があって起こるわけではなくて、色々な要素が絡まり合って起こっています。
例えば、あなたが「youtuber」として成功したい!と夢見ているとします。それは、日本に生まれてyoutuberとして成功している人が居るから夢見始めたわけで、そもそも日本にインターネットが普及して、パソコンなどが一家に一台という状態だから、出てきた夢であって、そもそもインターネットが生まれたから出てきた夢で・・・
例えば、あなたがアフリカの奥地の部族に生まれていたら、そんな夢は生まれなかったでしょう。
つまり、「自分で起こしている」と思っている行動や、世の中で起きている出来事のすべては、そもそもの要素、原因が絡まり合って、起こっています。だから、その出来事自体に意味は無く、それについて考えても、答えは出てきません。
だから「人生」自体にどんな意味があるのか?と考えても答えは出てきません。
出来事でも、物でも、もちろん人生も、それ自体が何か意味を持って起こってくる、生まれてくるものはなく、それを見たり聞いたりして、1人1人が「意味」を付けていくだけです。「意味」を考えても出てきません。
あなたの「人生の意味」を見つけたいのであれば、自分で自由に付ければいいだけです。
☆本当に意味があるのは、日々の体験です
◎何かを達成することに意味はあるのか?
私たちの多くは、自分の人生の意味を見出そうと、何かを達成して「意味を持たせよう」としてしまいがちですが、先ほども言ったように、たとえその瞬間その「達成」が「素晴らしい出来事」だとしても、2年後、5年後の自分にとっても「素晴らしい出来事」であり続けるかは分かりません。
たとえば、頑張って起業して会社を起ち上げた。そして、東証一部上場を達成した!
その瞬間は達成感、幸福感、自己実現感などを感じてそれは「素晴らしい出来事」になるでしょう。
しかし、2年後事業に大失敗して、会社は倒産、20億円の借金を背負うことになってしまった。そうするとその「会社を起ち上げて、東証一部上場した」という出来事の意味が変わってくるかもしれません。
何かを達成したからと言って、その意味は時間、状況などによってやはり変化していくものです。
また、その大失敗を経験して、そこから地道に小さな仕事でコツコツと借金を返していき、家族と過ごす時間が「幸せ」と感じられるかもしれません。
◎「死ぬ瞬間」にはみんな同じ
そして、人にはみんな平等に「死」というものが訪れます。もちろん「早い遅い」「長い短い」という違いはありますが、必ずすべての生物に訪れるものです。
その瞬間は、大金持ちであろうが貧乏であろうが、悪人であろうが善人であろうが本人にとっては何も変わらないでしょう。
「ああしておけば良かった」という後悔もあれば、「色々な経験ができて良かった」と感じることもあるでしょう。この世を離れる寂しさがあるかもしれないし、愛おしい人と離れる悲しさも感じるかもしれません。「悟りを開いた」人たちが言うように、「この上ない解放感」を感じるかもしれません。
お葬式が大規模であろうが、無縁仏になろうが、起こっている「死」ということは同じで、それに対して、それを見ている人が「意味」を付けているだけです。
◎人生に何の意味もないのか?
こうやって考えていくと、結局「人生には何の意味もないのか?」となってしまうかもしれませんが、
「人生自体に意味があるわけではなく、人生の中で体験することに意味がある」んです。
人生全体に意味を見出すことはできませんが、人生の中で体験したことはあなただけの経験です。
その体験自体を経験するためにこの世界に生まれてきた、と言ってもいいと思います。
言い表しにくいですが、
何かの体験を積み重ねて何かを達成する「人生」に意味があるのではなくて、
その一つ一つの体験をすること自体が、「人生」の意味である、ということです。
もちろん、あなたが自分の人生に対して、「こういうテーマがある」と意味づけしたければ、自由に付ければいいことです。
しかし、人生全体に意味を見出すために考えることよりも、その人生の中の日々の中で、今目の前に起こってくる「体験」を楽しむ。味わうことに「人生」の意味があります。
「人生」は何かを達成しても、何かを積み重ねても、どんな人であろうと「死」を迎えれば、本人にとっては「同じ」です。あの世にお金を持っていけるわけでもありません。
それよりも、「人生」の本当の意味は「日々の体験」を味わうことにあります。
☆私たちは、「思考」に偏りすぎです
私たちは、この世界をありのままに見ることができていません。
私たちは普段から「思考」のなかで過ごす時間が多いために、その「思考」に色付けされた世界しか見れなくなっているんです。
例えば、同じ「夕日」を見たとしても、恋が始まってウキウキしているときには「綺麗な夕日」に見えるでしょうし、人生に悩んで、生きる気力を失っているときに見れば「寂しい風景」に見えたりします。
「意味づけ」と同じように、その時その時の気持ちなどに左右されて世界を見ています。
そして、そういう「体験」をしている最中にも、色々とそのことについて考えたり、過去のことを思い出したり、将来の心配をしてみたりと、じっくりと目の前の体験を味わうことができていません。
一度試してみてください。目の前の物を1分間でも「何も考えずにただ見続けられますか?」
おそらくほとんどの人はできないでしょう。いつの間にか「思考」が入り込んできているはずです。
「この花は白いなあ」「花びらの形が綺麗だなあ」「この花前にどこかで見たなあ」・・・
そうやって私たちは、その体験自体をいつも見逃して、「思考」で意味づけした過去の「記憶」ばかりを味わっています。
◎本当に「いま」を感じてみよう!
あなた本当の「人生の意味」を感じたいと思うのであれば、今この瞬間の「体験」をそのまま感じる習慣を始めてください。
その「体験」について考えるんではなくて、ただ「感じる」ということです。「人生の意味とは?」なんて考えてないで、今目の前の体験を思いっきり楽しんでみませんか?
コツは、ただ「体に起こる感覚を感じる」ということです。出来るだけ「思考」を無視するということです。
その習慣を続けていくと、段々と本当の「人生」を感じることができるようになってきます。
そこは、何の不安もない、ただ「起こることを体験する」世界が広がります。
そうすると不思議と、人生はスムーズに流れ出します。
人生を「考える生き方」から、「感じる生き方」にシフトすることで、「本当の人生の意味」に気づき始めます。目の前の体験をあれこれ考えずに、「感じる」習慣をつけていきましょう。
きっと人生が180度変わります!
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